レーシックをしてから10年が過ぎた @ Level 2.5
台風15号、そして台風19号の被害に合われた方が、一日でも早く安心して健康に、元の生活に戻れることを心から祈ります。また、24時間以上警戒態勢が続き大雨や強風が吹き荒れる中、人々の安全やインフラを守るために、夜を徹して私たちを守ってくださったすべての皆様に感謝です。
仮に、私がレーシックで後遺症を発生していなかったら?
2010年9月にレーシックを受けてから、ほぼ10年という月日がたった。 アラフォーで手術を受けてアラフィフまでの10年を、レーシック後遺症とそれに伴う治療、そして後遺症の裁判など費やし、今はそのフェーズからは卒業。
私はレーシック後に重めの後遺症を発症した本人なので、レーシックをして良かったと思うことはひとつとして無いのだが、手術で全く後遺症が出なかったと仮定した場合、10年後はどうだったのだろうか?
視力が急激に戻る
これはあくまで私個人の体験だが、 レーシック直後には2.0まで見えていた眼は、今は下記の程度まで視力が落ちた。
- 右 : 0.2
- 左 : 0.5
※術前は右目の方が左目より視力が良かったため、休日は、右目にだけコンタクトを入れるモノビジョンを試している。文字は読みづらい。
今年の1月にインフルエンザに罹り、40度近くの高熱が3日程度続いた後、ゾフルーザで解熱。熱が下がった後、なんだか子供の時の夏休みの朝?みたいに身体が軽くなり、「ひゃっほー、会社あと4日間休める」と起き上がった瞬間に、視力が急激に落ちていることに気づいた。
眼科で精密検査をしたが、問題ないとのこと。視力が下がった方が明らかに身体は楽。しかしここからが問題で、0.7程度見えていた状態から0.2までの視力低下が半年以内で発生していて、このまま行くとあと数年でレーシック前の視力 (0.03が見える程度) に戻るかも。
たとえ後遺症を発症していなくても、ある地点から急激に視力が下がる可能性がある手術なのかもしれない。
視力が安定せずに眼鏡やコンタクトを作成しづらい
多くの眼科や眼鏡屋さんをまわって、皆口をそろえて言うのが「レーシックをした人の視力は安定しない」ということだ。遠くも近くも問題なく見えているときは気にならないかもしれないが、老眼がつらくなってきたり、視力が落ちてきて眼鏡やコンタクトが必要になった際、どんな眼鏡を作成してもなんか日によって合わない、という現象が起きやすい。
視力が落ちた際、眼鏡が二つ必要になる可能性がある
老眼年齢の方の場合、レーシック後に視力が下がると、近視とともに老眼対策が必要になる。調節能力が残されている人の場合は、かなり近視よりの眼鏡をひとつ作成することでデスクワークができる。ただし運転や旅行など、遠方の視力が必要な際には、遠方がある程度見える別の眼鏡を、追加で作成する事に。
近くをみる作業が主にパソコンでの仕事の場合、遠近両用で対応するのは難しく (遠くを見るレンズが上に来るため、パソコンのモニターが見えづらい) 、結局近く用の眼鏡と遠く用の眼鏡を2本、用意する必要が出てきてしまう。
誰でも当てはまることなのだが、レーシックをした後に急に眼鏡に戻り、それも眼鏡が2つ必要となると、心理的にも金銭的にもきつい。
遠近両用のコンタクトは、人を選ぶ
最近では、遠近両用のコンタクトレンズが出てきているが、これは本当に人を選ぶ。実際、眼科でも、合う人と合わない人が顕著に出るコンタクトだという話だった。私も試してみたが、全くもって合わない。自分の度数に合わせた遠近両用コンタクトを試したはずなのに、近くも遠くもぼやけて何も見えず、頭がくらくらしただけだった。
こちらは技術が進むの待つしかない。
レーシックをしたクリニックはすでに潰れており、保証期間も切れている
もしも仮に、レーシック後に何一つ違和感や後遺症を感じず、快適な日常を過ごしていたとしても、その状態は老眼や近視の戻りによって、結局終わりを迎えてしまうのではないかというのが私の仮説だ。そして、レーシックの恩恵をうけて眼鏡やコンタクトなしの生活を楽しむことができるのも、10年程度なのではないだろうか。10年たつと手術を行ったクリニックは潰れていたりするし、そもそも保証期間は切れている。
で、私の今の状態
上記は、「私が仮に手術で後遺症が全く出ていなかったら」という架空の世界なので、現実はこちら。
- 視力が急激に落ちたことにより、眼の表面と奥の痛みは、Level 4.5 (9年前) からLevel 2.5 (現在) 辺りまで楽になった。が、どの眼鏡を使えばよいのかが分からず、途方に暮れている。視力低下が短期間に進みすぎて、かつ現在進行形...
- 遠くも近くも、ただひたすら見えない!眼鏡をかけても見えない!コンタクトでモノビジョンをすると多少楽だが、文字が読めない、仕事はできない!
- 眼の表面の痛みは、何とか狂わずに我慢できる程度で、症状が定着してしまっている。目薬も、ジクアスをドボドボ注入。ただし、会社を休まなくてはならないような悪寒眼痛戦慄発作が出るのは、年に数回以下に減った。
- 眼の奥の痛みも10年前より楽になった。が、薬で一生懸命コントロールしている感がある。家では片目に眼帯をしたり、視力低下により裸眼が少し使えるようになったせいか、薬で何とかやり過ごせる程度になった。
- ドライアイが不思議なほどに治らない。朝起きるときは眼ががちがちに乾いて目やにでべったりして、指で眼をべりべりはがさないと眼が開かない。寝ているときも、深夜に一回は眼の渇きによる痛みで起きてしまい、枕もとの目薬をさしている。日中も、最低でも一時間に一回は目薬。
- 平日は毎日、薬を使用するようになってしまった。睡眠薬も同じく平日のみ使用。
- 複視は、あまり気にならなくなってきた。裸眼で近くを見ても、複視はそれほど顕著に感じない。視力が落ちたお陰だろうか?
- ハログレアとスターバーストは、10年前よりも明らかに悪化している。夜道で段差が見えずに、家の近くで何度も足をくじいたり、電柱に自ら突進してたんこぶが出来たりしている。街灯の光で "目つぶし攻撃" にあった感じになり、全く見えないのだ。
- 上記の理由で、自転車の運転は自主返納?(自転車所有をやめた) した。車の運転も全くしていないし、今では運転すること自体が怖い。
- 羞明 (眩しさ) も症状が固定されてしまっている。技術の進歩により、スマホやパソコン画面を暗くするツールや、羞明患者さん用の眼鏡レンズが優秀になってきているので、何とか人類の叡智を結集して生活ができている。
- 映画やドラマは徐々にみられるようになってきた。元々、大大大の映画好き。再び映画が観られるようになったお陰で、何とか明日への希望を...つないでいる。
- 反対に本はあまり読んでいない。日本語は、漢字が大きなぐちゃぐちゃした塊に見えてしまうので、読むなら英語。英語の方が、フォントを大きくすれば文字を認識しやすい。英語は永遠に学習中...。
全体的に視力が落ちたことで、以前のような激しい痛みや生活への支障が出ることは少なくなったが、季節的な変動が多い。
正直、10年もこんなことやっているので、ちょっと疲れた。もうレーシックや医療には全く関りたくないと思ったことも数回。でも、治っていないのよね、自分のなかで丸々10年が空白なのよね。仕事だけは死守しようとそりゃぁ頑張ったけれど、それ以外、なーんにも無いのよね。
目標もからっぽ、心もからっぽ、健康や若さは指の隙間からこぼれ落ち、迫りくる病や老いと孤独死への恐怖。
... ... でもまぁ、映画があるんですよ。
病に心を蝕まれた人ほど、現実逃避できるファンタジーが必要だと、痛切に思う。