2023年、私は50歳になった。
女性シングル子供無しで50歳、というのは別にレーシック難民ではなくても、実に身体も心もキツいというのを自分が体験してから初めて知った。単なる数字なのに49歳のときの若干の余裕が、50歳になった途端に、社会からも自分自身からも追い詰められた。デッドエンドな未来へ一気に変換される。
レーシック難民になって、それこそ「まさか」50歳を迎えるとは思ってもいなかった。
私の産みの母は50歳を過ぎた頃から体調を崩し、それこそ「まさか」の癌の闘病を10年以上も続け、最後は骸骨のようにやせ細り、血を吐きながらモルヒネを点滴し、病院で亡くなった。不摂生の塊の私はもっと早死するんだろうなと勝手に思っていた。
だから癌保険だけはアホみたいにたくさん入った。
何故か失明保険というのにも入った。
...しかし、まだ生きている。眼は痛いが、失明もしていない。
レーシック難民ほぼ13年目、50歳になって
- 私の場合は特殊だったかもしれないが、新型コロナウイルスに感染して、視力が急激に落ちた。右・左ともに現在では -2.25D 辺り。
- 不思議なことに、近視化することによって、プリズム眼鏡は必要がなくなった。今ではプリズムレンズを使用すると、逆に吐きそうになる。
- 近視化したおかげで、裸眼が楽なことが増えた。小さなラップトップのモニターを見るとき、スマホを見るとき、本を読むとき、今では裸眼だ。
- 同時に老眼も進んでいることから、矯正用の眼鏡は -1.00D 辺にしている。ちょうど腕をぴっちり伸ばした辺に置いてあるPCモニターが、一番見えやすい眼鏡。だけど、知らない場所ではガッチリ迷う。見えない。
- パンデミックのおかげで?在宅勤務が増えたので、家で仕事ができるのは本当にありがたい。オフィスの明るすぎる照明や、モニターの無い状況で、小さなラップトップの画面ひとつで仕事をする場面が少なくなった。
- 自宅には2つのモニターを用意し、両方ともにペーパーモードがあるEIZOの中古モニター (一個は中古品) 。照明は最小限の間接照明。夜のZoom会議のときだけ、女優ライトとやらで自分の顔を照らしている。
- 遠近両用コンタクトレンズに慣れ、自転車で移動できるくらいには成長した。まだ車の運転は怖い。当たり前だが、自転車では雨の日は外出しない。
パソコン作業が無い時のみ、こちらのコンタクトレンズを愛用している:
-------- アルコン マルチフォーカル DAILIES
私の場合は、 - PWR -2.00 LO |
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- 眼の表面の痛み、奥の痛みなど、眼の痛みにまつわる症状はあまり劇的には改善していない。結局、薬に頼って生きているので、やっぱり長生きしないんじゃないかと本人は思っている。
- ドライアイは、笑うほどに全く改善しない!ジクアスのみを引き続き継続中。本当に笑うほど、ドライアイだ。
- 12〜13年前と比べると、全体的な症状はかなり楽になった。50%は改善したと言える。ただしそれが新型コロナ感染で劇的に視力が落ちたから...というのはどうも。レーシックによる遠視化が、眼の痛みや様々な体調不良にかなり影響していたことは事実だ。
時々私は思うのだ
生きることなんてクソ喰らえだと思っていたし、思っている。
いつでも15秒以内に、どうでもいいCMが終わる前にピンピンころり、いわゆるPPKできたら、それで私の人生は超絶ハッピー。ゴキブリが瞬間冷凍されるみたいにあの世に旅立てるよう、50歳というのはそれを強烈に願い始める年齢だ。
私にとってのこの数年間は、まるで韓流ドラマみたいなジェットコースターだった。
ブログのアップデートが止まったのも、プライベートがハードすぎて、ちょっと何かを書く元気もなかった...す、すみませんっ。
- 大切な人が亡くなり
- パンデミックがやってきて
- 死ぬほど仕事をして
- 自分も新型コロナに感染して
- ゴキブリみたいに解雇され (全部コロナのせいだけど)
- 会社みんなで解雇され (全部コロナのせいだけど)
- フィリピンに逃げて
- 無職、無職、おおお、税金だけがやってくるー
- 苦悩
- 税金から一旦逃げるために国外転出すると、日本の健康保険が使えないー
- 苦悩
- 面接、面接、落ちる、落ちる、また面接、落ちる...
- 仕事見つかったんだけど
- 東京に家がなくて
- 同時期に解雇された元同僚たちが家を見つけてくれて
- 滑り込みセーフで新しい仕事を開始して
- しかしえーっと安定、してません
「で、この先、長生きしてもロクなこと無いわなぁ。病気持ってるうえに、もう50歳のBBAだからねぇ、夢やら希望、15秒以内に逝けたら本望ってやつ?」
このハードな時期に私を支えてくれていた、一斉解雇を経験した元同僚達にそんな話をしていたら、ある日ひとつの命を預かった。
「ねぇ、インコと暮してみない?くろねこさんが居ないときは、僕たちが面倒みるからさぁ。絶対に。」
そう、彼らと一緒に過ごしたオフィスにはいつも小動物が居て (オフィスに必ず誰かがいる環境だった)。だからその会社の入社試験のひとつが、「小動物をかわいがって家族の様に愛することができるか」だったんだ。
ムーンボウ (月虹) と名付けたインコが家にきて、しばらくたつ。
この子の本当の年齢は、鳥の獣医さんに連れていける再来週までわからないけれど、ムーンボウより長生きしないとなーと。
肩に乗った小さな命に「ぐぐぅぐぐぅ」と鳴かれながら、私は思うのだ。