くろねこの涙

レーシック難民になってからの記録

レーシック難民が新型コロナに感染してからの記録 @Level 3.5

2021年1月上旬 (1月6日頃?) に、私は新型コロナに感染しました。今回はその詳細を公開します。

(注意) 「新型コロナに感染したかどうか」の判定は、症状・肺炎症状・抗体検査のみで多分確認されました。PCR検査で陽性になったわけではありません。新型コロナ発熱外来も併設している東京でも最先端の病院で診てもらっています。そこで新型コロナ後遺症も診ている専門の医師に「くろねこさんは、ほぼ95%の確率で新型コロナに感染したと思われる」と診断されています。

まだ新型コロナ後遺症は続いているので、ここに書いている文章も「変」かもしれません。もし変であれば、誰か研究材料に使ってください (笑。

 

目次

感染前のスペックと前提条件 (笑

  • 2010年からレーシック難民なので角膜神経痛 (角膜の表面が常に痛い) 、ドライアイ、羞明もあるし、コントラスト低下など...いろいろ眼の症状がある。
  • 10年以上前から、咳喘息という基礎疾患持ち。
  • 大学生の頃から毎週ジムで10km走り、筋トレしている。昔、陸上部だった。
  • 「海外との行き来がいつでも出来る事」を前提とした仕事、生活をしているため、世界に広がってゆく新型コロナ・パンデミックで、個人的に大打撃をくらった。海外に住む家族とは、もう1年3ヵ月会えていない...。
  • 2020年4月~5月辺りの緊急事態宣言により突然在宅勤務となり、自宅の合わない椅子と机で、座骨神経痛っぽいものになっていて、現在でも継続中。
  • 2021年1月3日頃、部屋の模様替えをして足と腰を少し痛めていた。
  • 緊急事態宣言中以外は毎日電車で通勤。カレンダー通りの勤務形態。 マスク着用、手洗い、うがいは気を付けていた。
  • ぎっくり腰には人生で一度もなったことがない。片道30時間のエコノミーのフライトでも腰が痛くなったことがない。
  • 家族のほとんどが日本国外に住んでいるため、私が孤独死しても彼らが困らないよう、私の銀行口座などの情報を2020年6月の時点で家族とすでに共有していた。
  • 会社も自宅も、東京都心。2021年1月上旬、東京では一日の感染者数が2500人とか、そういう感じだった記憶が。
  • ガチの独り暮らしで基礎疾患持ちなので、新型コロナが発生した頃から、いつでも自分が独りで隔離入院できるよう、小型のスーツケースに入院セットを準備していた。
  • ということで、いつでも逝ける準備万端でした...笑。レーシック難民あるあるかも?

言葉の定義 (笑

このブログ内で、ファミリー (Family) と記載する場合、実際の肉親のみを含めるのではなく「私を助けてくれた、私が最も信頼する人々」も含まれます。

それが、私の第二の故郷での定義なのです...笑

感染の具合を3分動画で

下記の動画は、2021年3月9日頃にアップロードしたので、感染してから2か月目辺りの状況です。(完全に動画編集おかしいです...涙)

youtu.be

コロナ感染日記 (詳細を時系列で記載、日付は参考程度に)

1月6日 (水) 頃 - 多分発症した日だと思われ
  • 突然腰と下半身に激痛が走り、足に全く力が入らくなり、突然ぶっ倒れてしまう。この時点では私も周りの人も、単なるぎっくり腰だと思っている。

  • 周りの人が救急車を呼んでくれたが、コロナ患者対応で出動できないとのこと。「倒れた人に意識があるのあれば、自力で何とかしてください」と言われる。
  • 夕方だったので、タクシーで自宅の近くの整形外科へ行き、レントゲンなどを取る。検温をしたが平熱。

  • 整形外科の先生曰く「オンライン会議や自宅勤務で多分座りすぎなのだろう。よって、ぎっくり腰と座骨神経痛を同時に発症したのだろう。腰の激痛は、ぎっくり腰。腰から下の足やお尻の痛みは座骨神経痛。」ということで、ロキソニンミオナールをもらって帰宅。

  • 夜に猛烈な吐き気。私自身は、この時点ではまだ「人生で初めてぎっくり腰になった、きつー」と思っている。

1月7日 (木) 頃 - 緊急事態宣言発令
  • 再度、緊急事態宣言発令。
  • 仕事は原則、自宅勤務へ移行。あまりに腰や下半身が痛すぎて、会社は病欠。
1月8日 (木)頃 - 意識せずに自宅隔離スタート
  • ぎっくり腰がひどくて動けないので、継続して会社は病欠。どうしても参加が必要なオンライン会議だけ自宅から参加すると上長に報告。
  • 下半身の痛みはひどいが、PCは使える状態だったので、四点杖とかコーンスープとか、ベッドで寝ながらスマホをみられるアームとか、をAmazon Primeでポチっとな。
  • 産まれて初めてのぎっくり腰 (実際は違った) だったので「こんなに辛いんだー」という感想。下半身が痛すぎてだるすぎて、自宅からは一歩も出られない状態。そのため、意識せずに自主的な自宅隔離開始。
  • 検温なんてしていない (笑。
1月9日 (土) 頃 - 夜に吐き気と倦怠感発生
  • 夜に猛烈な吐き気がして、急に身体がだるくなる。とにかく一歩も動けなくなったので、ゲロった時の準備をして寝る。 
  • 寒気がしたので検温したが、平熱。
1月10日 (日)  頃 - 38度辺りの発熱、映像によるサイケデリックな感覚発生
  • 朝起きたら、すごくだるい。倦怠感、という言葉では表現できない、身体が泥になったような状態。意識も朦朧としている。
  • 検温したら38度の発熱。あれ?ぎっくり腰って発熱するんだっけ?でも整形外科は休みだしなぁ...熱が出たせいか、腰の痛みは楽になり、でも下半身に力が入らない。
  • ロキソニンミオナールを飲んで、ベットで横になってNetflixとかAmazon Prime Videoとかを観まくる。
  • なぜかアニメが尋常じゃないくらいに美しく見えて、映像や音が脳に突き刺さるような感覚がし、かつ画像がとても眩しく感じる。まぁ、ぎっくり腰だしね、仕事も忙しかったしね...と有料版にまで手を出して、ひたすらアニメを観まくる。
  • とにかく「天気の子」が美しかった...その時はね。

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38度の発熱
1月11日 (月)  頃 - 熱は37.5度、まだ単なるぎっくり腰だと思っている
  • 発熱はしているが37.5度程度。昨日よりかはマシになっていると油断。
  • 確か、数日前に診てもらった整形外科の先生に電話をしたところ「ぎっくり腰は、急性の炎症なので突然発熱することもある。ロキソニンミオナールを飲んでしばらく安静にして様子をみてください。」とのこと。この辺りから記憶が曖昧。
  • まだこの時点では、ぎっくり腰だと思い込んでいたため、全くコロナ感染など頭をよぎらず。だって咳も出ていないし、呼吸困難も無いし。
  • 緊急事態宣言下なので自宅勤務継続。腰の痛みがひどいということで、上長の了承を得て、必要なオンライン会議と緊急性の高い仕事のみ自宅から仕事を継続。
1月14日 (木) 頃  - 平熱に戻ったが、これは何かが変だと思い始める
  • 熱はすでに平熱に戻っている。
  • とにかくだるい。毎週10km走っている私が、自宅のトイレまでたどりつけない。四点杖大活躍。マンションのごみ箱にすら行けない。
  • 意識が朦朧としている。特に、16時頃になるともう気絶するようにベッドに横になっている。気が付くと2~3時間が経過している。会社には「腰痛で座っていることができず、体調が悪い」とすでに伝えているので、気合でどうしても参加が必要なオンライン会議にだけは、自宅から出て司会を行う。
  • 食欲がほぼ無い。甘いものとコーンスープだけで生き延びている。
1月17日 (木) 頃 - 単なる「ぎっくり腰」ではなく、ヤバい病気かもと思い始める
  • 1月14日頃から、ずっと平熱。
  • 単なるぎっくり腰では無いと思い始めたのがこの日。
  • なぜなら、この辺りに、突然意識がなくなり、床に直置きをしていたモニターの上に倒れ、3時間位意識が無くなったから。モニターは見事に故障...今でも故障中。
  • 眼が猛烈に眩しくなり、文字の認識が出来なくなる。ファミリーのRさんから、くろねこヤマトで荷物が届き、Rさんの住所を確認しようとしても全く文字が分からない (Rさん、本当に字が下手だな、住所読めないじゃん...と、いえいえ今見たら、ちゃんと綺麗な字で書いてあります)
  • とにかく「倦怠感」という言葉では現せない、身体のだるさ、そして意識がもうろうとする。記憶や意識がとぶ。なんか悪い薬でトリップしている?感じ。
  • 他にも、耳鳴り、音に敏感になる、頭痛、眩暈、眼の奥の痛み、麻酔薬でも注入されたような激しいだるさ・倦怠感、とにかくなんか壮絶。本気で全身、動けない。
  • 経験は無いけれど、違法ドラッグをやったような感じ。視覚・聴覚・触覚すべてが別の回路につながって、見えないものが見えたり、映像に触れることができるという不思議な感覚。音にも敏感になり、通常検知できない音が耳に突き刺さる。いつも聞いている曲を聴いても、「この箇所に重低音はいってた?」みたいな。ただし、麻酔薬を打たれたような倦怠感によって、インプットはできてもアウトプットが全くできない。
  • あまりにも光が眩しくて、室内なのにサングラスをして生活。レーシックによる羞明を100%とすると、当時はそれを200%超えるような眩しさ。
  • 本気で「脳と神経をやられた」と自覚。
  • 「死ぬ覚悟」、孤独死を予感。
  • 関西に住んでいる友人から、この記事をメールでもらう。メールで相談にのってもらっていた。
1月22日 (金) 頃 - ここまであまり記憶がなく、やっと記憶復活
  • ここまで、ほとんど記憶が無い。どうやって仕事とか、生活していたんだろう...涙。インスタとかあげているので、ベッドにねっころびながら、ラップトップやスマホで何かやっていたんだろう。
  • オンラインから仕事していたけれど、やはり16時以降は意識が飛ぶので、上長に連絡を入れて「16時ごろ以降は、病欠にしてもらっていた」と勤怠記録には書いてある (笑。
  • 朝に咳が出始める。まぁ、咳喘息持ちなので予感はしていたんですが。
  • 勤怠記録以外、記録も取っていない。Twitterが正
  • 1月6日から1月22日まで食欲ナッシング。5kgは痩せた。多分、コーンスープと、親友たちの差し入れで生きていたような気がする。
  • 仮にコロナに感染していた場合、外に出ると他の人に感染させてしまうのでひたすら自宅内で耐える。というかその前に、身体が動かせなかった。Ubar Eats・Amazon Prime・ネットスーパーにどれだけお世話になったことか。感謝です。
1月25日 (月) 前後 - 体調は少しずつ回復、外出開始。しかし猛烈な咳が
  • 早朝から17時くらいまでは何とか動けるようになり、引き続き自宅勤務。この頃から、近くのコンビニ位であれば、早朝に外出ができるようになる。
  • この辺りから、朝に呼吸困難になるような咳が出始める。咳喘息で、一度「地上で水に溺れて窒息する」ような経験をしているので、覚悟はできていたが。
  • まだ、17時以降は急激に身体がだるくなり、眩暈がする。
  • 友人から教えてもらった、新型コロナウイルス感染症電話相談窓口 (電話番号 0570-550571) に電話をする。すぐに電話がつながったが、現在全く発熱しておらず、症状が咳や倦怠感なので、かかりつけの先生か近所のクリニックへ行くように勧められる。対応は優しかった。しかし、クリニックへ歩いて行く体力も気力も、激しい倦怠感のためそもそも全く無いし、オンラインとはいえ仕事を継続していたので何となくベットに戻ってしまう。
  • 比較的朝は元気なので、コロナのおかげで、完全に朝方体質にシフト。
1月29日 (金) - 感染後初めて会社の近くのクリニックへ、肺炎を発症
  • 倦怠感もある程度治まる。
  • 猛烈な咳が午前中だけではなく、一日中続くようになる。今までは、ストックしていたシムビコート (咳喘息の吸引薬) でしのいでいたが、それでは追いつかなくなってきたので、病院へ行こうと決意。 
  • 1月6日より前は、駅の階段を使っても全く問題がなかったのに、階段を使えない。階段を2段登っただけで息切れがして、倒れこむような倦怠感に襲われる。いつもひょいひょい階段を使っていたので「何だこれ?」と自分が驚く。ただ頭が????になる。
  • 昼から出社する必要があったために、会社の近くのTクリニック (咳喘息の吸引器を以前から処方してもらっていた) で診察。
  • クリニックでCTをとった際に、肺炎と診断される。今までの経緯から即座に入院が必要と判断される。先生が一番パニックになっていた。確かにCT画像を見たら、肺が白くなっている。
  • Tクリニックの先生が、必死で東京中の病院へ問い合わせ。私の入院要請をしてくれたが、どこもコロナの患者さんで病床はいっぱい。
  • 私は先生に「もっと重症な患者さんに病床を譲ってください、入院は必要ないです」と伝える。日本で入院したくない、ご飯まずいから。
  • 受診日が金曜日だったために、ハードな選択を迫られる。
  • 先生から「CTの画像をいれたCD-ROMと、宛名を記入しない診断書」を渡され、週末に病状が急変したら、これを救急隊員に渡してください、と。病床が空くまで生き延びてください、と。自分が一番、( ゚д゚)ポカーン な状態。
  • 会社の同僚がTクリニックまでかけつけてくれて、本当に感謝。
  • 唾液のPCR検査を受けて陰性。何と価格は23,000円。発熱外来、あるいは保健所を通さないとPCR検査代は全額自腹なのだと、後で知る。この時点でPCR検査、受けなきゃよかった。
  • 後ほど、いろいろな所に交渉しましたが、23,000円はどうにもなりませんでした。結局自腹。
1月30日 (土) 頃 - 「死ぬかもしれない?」と警告を受けてヤッホー最後の晩餐
  • 咳が半端ない。
  • Tクリニックから処方された咳止め (メジコンムコダイン、リン酸コデイン) を飲む。喘息用の吸引も、シムビコート (発作時) とレルベア (一日一回吸引) を2種類処方される。
  • 私死ぬんかいな?死ぬなら、最後の晩餐はうまいもん食べたいなー、とディナーに生牡蠣と白ワインをいただく。(その後は医師からの許可がでるまで、一切飲んでいませんよ...笑)
  • でも次の日、生きていた...笑
  • とにかく、眼の眩しさが半端ないので、奮発して最強のブルーライトカット眼鏡を買う。これがないと、オンラインで仕事ができない。

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これを渡され、万が一の際には救急隊員に渡してくださいとのこと
2月1日 (月) 頃 - 東京都心の、コロナ外来もある専門の大病院への搬送が決まる
  • 発熱外来やコロナ患者の治療を専門としている、東京の専門病院への搬送?が決まる。搬送といっても、普通に電車にのって、自宅から東京でコロナ治療ではトップクラスだという大病院へ行っただけ。
  • 私の今までの経緯や、Tクリニックからの紹介状などにより、即、発熱外来へまわされる。
  • 大病院の入り口には係員の方がいて、Tクリニックからの紹介状を渡したら、速攻で発熱外来。CT検査、鼻からのPCR検査、抗原検査などなど、問答無用でありとあらゆる検査を受ける。
  • 結局診断は「多分コロナによる肺炎」。ただし、コロナに感染したかどうかを調べる抗体検査?は検査待ちの状態。検査結果が出次第、再度来院してくださいとのこと。
  • 初期~中程度の肺炎患者を受け入れる病床が無い (コロナ前の世界であれば入院処置だったらしい) という事で、抗生物質やらいろいろもらって、なぜかその後出勤...多分、自分でも自分の状況を把握できていなかった。
  • この日、大病院の発熱外来内に4時間位滞在。自分が感染した事よりも、発熱外来に担ぎ込まれる周りの人達の状況を見ることにより、新たなトラウマが...だってコロナでお亡くなり寸前になっている方やその親族が、私の眼の前で...いろいろ会話聞こえてくるし。私は咳がとまらないし...発熱外来の看護士さんが私のためにソファを用意してくれてそこで横にならせてくれた。本当に感謝です。
  • 支払いはその場で行わず、あとで金額を自宅に郵送するとのこと。
  • その日の検査や治療代は保険がきいて、2万円くらいかかったかなー、来年は確定申告時に税務署訪問が確実。

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命の選択を迫られる、そんな現場で働く医療従事者の皆様に感謝

そして敬意を表して

2月3日 (水) - この辺りから本気の肺炎と味覚障害発生
  • この頃、仕事がカオスになっていて、原則自宅勤務、たまに午後から出勤というスタイルへ。
  • 日によっては会話ができないほどの咳が出て、オンライン会議の司会を他の人に代わってもらう。
  • なぜかこの辺りから、味覚障害が発生。コロナとの因果関係は分からないけれど、歯磨き粉の味が全くしない!アイスクリームを食べても、なんか冷たい油が口の中に入っているような感じ。「辛さ」だけは認知できたので、辛い物をひたすら食べる。
  • 音に敏感になっているため、音楽が煩わしいまま。耳鳴りもひどい。
  • 相変わらず夕方からの倦怠感は継続。
  • コロナとの因果関係は分からないが、この辺りから不眠に悩む。いつも8時間以上とか眠れる人なのに、6~7時間しか眠れず、それに必ず7時ごろに起きるようになり朝型になった。今まで夜型だったし、休みの日は11時頃まで寝ていたのに...。これは今でも継続中。原因不明。
2月17日 (水) 頃 - コロナ感染を家族、ファミリーや会社関係者にカミングアウト
  • 大病院にて、抗体検査と思われる?検査結果がでる。
  • 主治医から「ほぼ95%以上の確立で、くろねこさんはコロナに感染しました」という根拠となるデータをもらう。それが何なのかは、よく分からない。印刷した紙は持っているが意味不明...抗体検査は陽性?、あと何か別の検査をしていたが、素人には分からない。
  • 家族、ファミリー、そして会社関係者などに「私コロナ感染しました、今コロナ肺炎になっています」をカミングアウト。
  • 結構激震がはしる。そりゃそうだよな...家族は海外に住んでいるんだから。心配かけてごめんなさい。本当に自分でも最初は「ぎっくり腰」だと思っていたんです。
2月26日 (金) 頃 - 肺炎自体は完治、視力がかなり悪くなった(近視化!) 
  • 肺炎は完治。ただし「肺の白い影が全部無くならず、残っている状態 = コロナにより一部ダメージを受けている状態」らしい。
  • 午前中だけ、相変わらず咳発作が起こる。それは肺炎ではなく、咳喘息症状によるものだろうと大病院の主治医から言われる。
  • 午前中は自宅勤務で、昼からたまに出社。
  • コロナとの因果関係は分からないが、とにかく視力が驚くほどに落ちた。近視用の眼鏡の購入を考えないといけないレベル。
  • 日によって、夕方頃に突然倦怠感に襲われて身動きとれなくなったり、眩暈・耳鳴り・頭痛、眼の奥の痛みなどが継続。眼の奥の痛みは10年以上前からか...
  • この頃の眩暈は結構危険で、突然地球が360度回転する感じ。これ、駅のホームで起きたら危ないやつ。
  • 味覚障害は完治。
  • ブレインフォグというか、記憶が一瞬飛んだり、意識が朦朧とする感じが無くもない。仕事は気合で乗り切っているが、周りからは変な人扱いされているかもしれない。
  • いろんな事が絡まっていて、コロナによって起こった症状なのか、このコロナ禍のストレスなのか、あるいはレーシック後遺症によって引き起こされた症状なのか、その区別が自分ではもはや判別がつかない。そして、大病院のコロナ専門の主治医も、未知のウイルスなので後遺症までは分からないとおっしゃっている。
3月8日 (月) 頃 - たまに眩暈、たまに倦怠感、羞明など継続中、咳は治まる
  • 大病院には継続して通院。CTを撮り続けると被爆の被害がある?という事らしく、経過観察のみ。
  • 羞明、半端ない。モニターなども最強のブルーライトカット眼鏡が無いと見続けていられない。
  • 地球が回転する眩暈は頻度が減ってきたが、まだ週に1回程度発生する。
  • この頃になると分かってきたのだが、腰が痛く (だるく?) なってくると、なぜか夕方の倦怠感も一緒にやってくる。なので腰が痛く (だるく?) なってきたなと思ったら、自宅勤務に切り替え。なぜなら、倦怠感がやってくると数分間~数時間、意識飛ぶ事があるから。
  • 薬のおかげか、咳はかなり治まる。たまに朝少し咳込む程度で咳発作は、ほぼ完治。
3月14日 (土) 頃 - ジム通い再開、ほぼ健康を取り戻す
  • 大病院の主治医からの許可がおりて、2か月ぶりにジムへ。今まで通りには走れないし、筋力も相当落ちていた。特に腕や肩の筋肉が落ちている。ジョギングはマスクをして走らないといけないこともあり、速度を落として走る。
  • 久しぶりに運動ができてうれしかったが、その後、かなり筋肉痛になったので、あまりペースをあげてはいけないなと反省。
  • 週末に必ずジムへ通っていたので、この辺りからやっと元の生活が戻ってきたと実感する。「筋肉は裏切らない」本当にその通り!
  • コロナ感染によると思われる羞明も完治。レーシック後遺症による羞明は相変わらず...笑。
3月20日 (金) 頃 - 95%健康体、しかしコロナ後遺症は継続中
  • ほぼ、健康を取り戻す。
  • 突然やってくる眩暈、耳鳴り、1~2週間に1回程度発生する、夕方からの倦怠感にはまだ悩まされている。
  • コロナによる「倦怠感」は、コロナになった事がない人には、多分どれだけ文字で伝えても分からないと思う。
  • 咳は、たまに発作が起きる程度だが、咳喘息の症状だという事で、レルベア (一日一回吸引) のみ継続中。
4月4日 (日) 現在 - レーシック後遺症とコロナ後遺症のダブルパンチ確定
  • 大病院での診察は定期的に続いている。最終の肺の精密検査は4月中旬に予定されている。
  • Twitterでいろいろコロナ後遺症 (Long Covid) について調べている。自分に何が起きたか、いまだに大病院でコロナ患者を診ている気管支専門の主治医を含め、誰も理解できていない。
  • まだ肺の影は完治していないし、いろいろな症状を大病院の主治医に訴えても「薬を増やすか」あるいは「諦めるか」、どちらかしか無いと言われている。他の科にもまわされても、医療費と薬だけが増え、眩暈の薬では「薬の後遺症」で吐いたしな。
  • もう今の時点では、コロナ後遺症患者として、大病院の実験サンプル (実験動物) になっている感があるので、治療は次回で終わらせようかなと悩み中。
  • 今だに毎日悩んでいる症状は、キーンと金属音のような耳鳴り・たまに発生する「地球が360度回転するような眩暈」。あと、たまーに起こる咳喘息。でも、コロナとの因果関係があるのかどうかは、本当に分からない。
  • コロナ風倦怠感も、また発生するかもしれない。今は元気だし、腰痛も全くないけど。
  • 薬は、レルベア (一日一回吸引) のみ継続中。
  • 朝、暖かくなってきたなと実感。感染してから今日に至るまで、季節を感じる余裕がなかった。
  • ジムで筋トレとジョギングをして、やっぱりジムの雰囲気好きだなー、身体も心もデトックスできるなと実感。

症状のまとめ (コロナの症状ではないものも多分含まれている)

  • 激しい腰痛・下半身にまったく力が入らない - 倦怠感とセットでやってくるので切り分けが難しいが、多分最初の症状はこれ。「あまりに腰が痛く、また腰から下にかけて全く力が入らず、立っていることすらできずにその場で崩れるように倒れた」というのが最初の症状。当時、その場に人が一緒に居たので、その人が救急車を呼んでくれたのですが、救急車は全く出動できない状況でした。(誰も感染はせず、本当にほっとしました)
  • 発熱 - 私が38度以上の発熱をしたのは1日だけ。その後2日程度は微熱で、すぐに平熱に戻りました。
  • 倦怠感 - 麻酔薬とか精神安定剤とか違法ドラッグ?みたいな薬物を大量摂取して、神経もろとも意識朦朧となる、そんな感じ。身体全体が泥のようになって、一歩も動けない、それが最低でも2週間以上続く。私の場合、コロナ後遺症に突入してからは、「腰痛 (腰のだるさ)」が倦怠感の予兆としてやってくるので、「腰痛 (腰のだるさ)」が起きたら自宅勤務に切り替えるようにして、仕事をやり過ごしていました。
  • サイケデリック体験 - 映像や音が脳に突き刺さる。音に過敏になり、以前は聞こえなかった音が脳内で認識できる。映像や音に触れることができる、本当に5次元の世界に飛ばされたような感覚。コロナ感染中に観たアニメや映像を、再度観ても、あの感覚を再度味わうことはできませんでした。聴覚・視覚・触覚が、5次元に飛びます。
  • 視覚障害 - 字が読めなくなります。一番ひどいときは、文字の認識ができなくなる。代わりに映像が脳に突き刺さる。
  • 半端ない眩しさ・羞明 - とにかく眩しい!!!!!ただでさえレーシック難民で羞明なのに、光が痛い。よく自宅からオンライン勤務を続け、パソコン作業していたものだと、自分で自分を褒めたくなります...笑
  • 視力低下 - コロナ感染後、とにかく視力が落ちました。近視用の眼鏡がそろそろ必要なレベル。
  • 意識障害 - 突然ぶっ倒れます。実際に自宅内で2~3時間程度、ぶっ倒れてモニターをぶち壊しました。机に座ってパソコンに向かったまま、数時間記憶が無くなりました。あの記憶はどこへ行ったんだろう?もしかしたら、何かやらかしていたかもしれませんねぇ。
  • 記憶障害 - 一時期、記憶がありません。一応、毎日業務記録はつけているけれど、業務記録を書き込んだ記憶すら無い。あれは自分が書いたんだろうか?
  • ブレインフォグ - 一応自分の意識はあるけれど、頭の中がしびれて、自分が靄のなかにいるような感覚。今やっていた動作を即座に忘れ、仕事に支障がでまくるやつ。多分、仕事でもプライベートでも、周りに迷惑をかけていたと思われます。すみません。
  • 脳の暴走 - これはコロナと関係があるかどうか分からないのですが、脳のデータベースが暴走します。なので、重要な判断や決断は、コロナ感染後半年くらいはしない方がよいかも...
  • 不眠 - もともとレーシック後遺症の角膜神経痛で眼が痛く、寝つきが悪く睡眠薬を使うこともあるのですが、輪をかけて不眠になりました。脳のデータベースが常にフル回転してCPUがMAXな感じ。なぜか、必ず朝7時に起きます。以前なら、土日は11時まで寝ていたのに。ふ・し・ぎ。
  • 午前中は体調が良い - これもコロナと関係があるかどうかわかりませんが、午前中の方が体調が良いため、自然と朝型生活になりました。ただし、咳は午前中の方がひどいんですが。
  • 眩暈 - 地球が360度突然回転するような眩暈が発生。予兆もなく突然発生するので、駅のホームでは気を付けています。こんな眩暈、人生で初めてです。ひゃっほー、地球が回転してる!!!みたいな。
  • 耳鳴り - 今でも絶賛継続中。キーンキーンと金属音的なものが耳と脳を痛めつけています。意外とダメージある。
  • 味覚障害 - 私は1週間程度しかありませんでしたが、全く味覚がなくなるというよりも、味がおかしくなりました。水を飲んでも汚水の味がしたり、「甘味」が全く分からなくなったり。歯磨き粉の味が、全く分からなくなりました。なぜか「辛さ」だけは分かったので韓国料理ばかり食べていた。
  • 咳と肺炎 - まぁ、これは明らかにコロナっぽいですね。ただ、静かに肺炎が進行し、発熱も伴わないのは (通常の肺炎だと高熱を伴うそうです from 大病院の先生) コロナによる肺炎の特徴だそうです。
  • 時差攻撃 - 熱が出たあとから徐々に、時差攻撃でありえない症状が発生します。体力を奪い取るように症状が少しずつ悪化し、自分でも何が発生しているのか、把握できないまま、最悪死に至る。
  • 一般的に人類が経験する風邪症状が全くない - 咳・鼻水・くしゃみ・喉の痛みなど、風邪やインフルエンザなどでよくある症状は全くありません。私の場合、コロナから肺炎になったのでコロナに感染したと思われる時点から3週間位たってから、肺炎による猛烈な咳が発生しました。
  • 完治がいつか分からない - 「肺炎でできた肺のダメージは一生治らないかもしれない」と大病院の先生からは言われています。眩暈も、耳鳴りも...たまーに起こる、仕事の疲れかコロナの後遺症か判別できない倦怠感も、治らないかもしれません。いまだに絶賛継続中です。

以上、長文になりましたが、レーシック難民がコロナに感染し、コロナ後遺症で苦しんでいる記録です。

個人的な感想ですが、新型コロナウイルスは風邪やインフルエンザとは、全く異なります。神経や脳を直撃するウイルスです。

体験した私が言うのもなんですが、ちまたの陰謀論を信じたくなってしまうような、本当に5次元の体験をしました。

そしてその5次元から、私はいまだにもとの4次元に完全には戻れずにいます。一生戻れずに過ごすのかもしれません。

レーシック後遺症だけでお腹いっぱいなのに...涙。

コロナ感染中役にたったもの (特に独り暮らしの人向け)

全力でアフィリです...が実際に私が購入しました。

1月6日から4月4日までにかかった医療費などのコスト

 多分10万円近くに達していると思われ。

  • 唾液でのPCR検査 - 23,000円
  • Tクリニックでの診察と薬代 - 5000円位はしたなー
  • 大病院での検査代や治療費、薬代 - 多分総額で3万円~4万円にはなっている、まだ診察は続くのでまた費用がかかる。
  • 普段なら使用しないUbar Eats (高額) や、スーパーで買うより高額なアマゾンで買い物をしたり、上記の全力アフィリの商品などを買ったり。OMG!!

最後に

今回私を支えてくれた家族、ファミリー、会社の同僚、親友や友人達、そして医療従事者の皆様に本当に感謝です。どれだけ助かった事か。このブログ記事が、どこかの誰かの役にたてば幸いです。

テレビやネットのニュースでは多分、医療従事者の方がどんなに苦しい状況にあるかは、伝わらないと思います。たった数時間、コロナ発熱外来に居た私ですら、精神的にやられました。

発熱外来の先生の診察室のパソコン画面に、当日の患者さんの一覧が出ていて、「トリアージ (Triage)」という項目がありました。そこに数値が入っていて、私のトリアージの数値、そして他の患者さんの数値、いまだに忘れられません。

命のトリアージって、本当にどれだけ大変なことか...

 

「自分自身がすべてを無くしてどん底に堕ちそうな時、誰が精神的に、あるいは肉体的に支えてくれるのか、誰が実際のアクションをとって死の淵に居る私にかすかな光であっても、それを届けてくれるのか」。

 

私のファミリーは、私にかすかであっても希望の光を与えてくれて、実際のアクションをとってくれる人達。

そんな素敵なファミリーを全世界に持つ自分は、本当に恵まれているのだと、今回のコロナ感染で再度認識し、その縁に感謝しました。

Thank you, my family, who supported me from all over the world.

 

P.S.

変異株コロナ・ラウンド2にならないように、引き続き、感染予防には気を付けます。

人が持ち得るもの、それは絆 @Level 4.0

11月29日 (日) に開催された、レーシック難民のオンライン交流会に参加してくださった皆様、本当にありがとうございました。Zoomでの開催は初めてだったので、いろいろと不手際があったかもしれませんが、むしろZoomで開催することにより、日本全国の被害者さんが参加できて良かったです。

(あと交流会開催後に参加申し込みをいただいた皆様、申込書の締め切り終了日を設定し忘れておりすみません)

 

また、このコロナ禍で絶望的にお忙しい中、時間を割いて参加していただいた、自民党政務官みたに英弘先生医療問題弁護団の高梨先生、本当に何と感謝してよいか言葉にできないのですが、本当にありがとうございました。

都市伝説として葬られていた「レーシック難民」が、現実に被害として発生している事実であることが認識され、そして裁判までこぎつけることができたのは、本当に三谷先生と、医療問題弁護団の先生方、そして一緒に勇気を出して闘ってくださったり、声をあげてサポートしてくださった被害者の皆様...

そう、今これを読んでくださっている皆様のおかげです。

 

苦労はありました。

集団訴訟を行ったことでNHKを含めた地上波に出まくったので、誹謗中傷は、私の想像を絶するものでした。人生が歪みました。ただ私は、自分のキャリアや人生を棒にふってでも闘わなければ、今日まで生き延びることは不可能だったと断言できます。

レーシック直後に、手術を受けたクリニックの医師から言われた言葉を今でも覚えています。

「あなたは100人に1人の特異体質で、手術後にとても特殊な後遺症が出ています」

この言葉は、呪いとなりました。

 

私だけがおかしいんだ。何か遺伝子レベルでおかしいのだろうか?私の過去の経験の何かが良くなかったんだろうか?20代の時に入院したとき、治療で使用した点滴の薬が良くなかったのだろうか?特異体質ということは、もう長生きなんてできないんじゃないか?私独りが、この眼の痛みに苦しんでいて、それは私のDNAのせいなんだ。みんなと違うんだ、人間じゃないんだ。やっぱり私は違うんだ。まともな人生なんて、歩めないんだ。

 

独り。

当時住んでいた10階のマンションのベランダから、夜中、下を走る高速道路の車のテールライトを眺めているとき、

ネットに入ってきたたくさんの声。

 

私も同じです。

私もくろねこさんと同じ症状です。

私も眼の症状で仕事を休職しました。

私も眼の痛みで仕事を辞めました。

眩暈で吐いています、まっすぐ歩けません。

今、生活保護です。

もう死のうかと思っています。

 

私は決して異質ではなく、同じ症状に苦しんでいる人が居るんだと。私の頭の中で勝手に作り上げられた痛みなのではなく、実際にこれは被害なのだと。その声に私は、自分の命をもう一度授けられました。

 

当時、私が最初にネットに初めて助けを求めた時の掲示板の画像を、もう一度張っておきます。

f:id:Kuroneko773:20201226234831p:plain

レーシック手術直後に、もう今は閉鎖された掲示板に書き込んだ相談。最初に私がネットにヘルプを求めた時です。

 

youtu.be

懐かしさと絆

1990年代後半頃、私は外国の会社で、最先端の人工知能の研究チームと仕事をしていました。自然言語処理 (検索エンジンの基盤) 、感情認識 (ある音声や動画をシステムに入力して感情を読み取る)、画像認識、レコメンデーション (この音楽が好きなら、この音楽も好きでしょ? みたいな) といった分野の仕事をしていました。これらのシステムの裏側では、当時、人工知能が稼働していました。

そんな昔でも、ある程度、人工知能は人間の感情を理解することが出来ていたのです。

ただし、唯一理解できない感情がありました。

「懐かしい」と「絆あるいは同情」という感情です。どれだけ人工知能に私がティーチング (人間が先生になってガイドすること) をしても、当時の天才プログラマが徹夜でチューニングをしても、人工知能は結局その感情を理解できないままでした。

 

このコロナ禍において、その記憶がなぜかずっと頭から離れません。

私たちレーシック難民が得たこの大きな絆、それは何よりも尊いものなのかもしれません。

レーシック難民のオンライン交流会まだまだ参加受付中 @Level 3.0

レーシック難民のオンライン交流会

レーシックなどの視力矯正手術後に何らかの後遺症・合併症を発症してしまった方や、その家族やご友人などを対象としたオンライン交流会を、11月29日 (日) 14:00から16:00頃まで、Zoomで開催します。

なんか盛り上がったら、同日の18:00から21:00位までZoomのみ?(お酒飲まなくてもなんか水分飲んでたらよい) も考えています。

まだ交流会の参加の申し込みをされていない方は、下記のフォームからお申し込みをお願いいたします。

jp.surveymonkey.com

さて、コロナで海外旅行にも行けないし、海外の実家にも帰省できず、もはやメンタル崩壊気味なので、VTuberデビューしてしまいました。まだまだ力不足ですが、VTuberのくろねこもよろしくお願いいたします。

www.youtube.com

基本、眼が完全におかしいので画質や色味やコントラストは、かなり変だと思いますがまだまだ初心者なので許してくださいね。

 

とりあえずVRoidでVTuberデビューしてみた

仕事が忙しいので、いつまで続くかわかりませんが、ちょっとお勉強もかねてVRoidで動画作成してみたいと思います。結構、複数のツールを使わないと編集ができないので、思ったよりも大変かも?

なかなか音入れで苦戦しております...

 

インスタ:

https://www.instagram.com/kuroneko_the_black_cat/

 

YouTubeのチャネル - くろねこの涙:

www.youtube.com

2020年11月29日 (日)にレーシック難民のオンライン交流会を開催します @ Level 3.5

オンライン交流会のお知らせ

レーシックなどの視力矯正手術後に何らかの後遺症・合併症を発症してしまった方や、その家族やご友人などを対象としたオンライン交流会を、11月29日 (日) に開催します。

コロナ禍において、初めてのオンライン交流会となりますが、日本全国からZoomで参加いただければ幸いです。

メールやTwitterにて参加希望のご連絡をいただいた後、こちらから少し確認をさせていただいた後、オンライン会議へのアクセス方法をご連絡させていただきます。

 

オンライン交流会の詳細:
日時:2020年11月29日 (日)

時間:14時からZoomで開始

会議へのアクセス方法:確認後に個別にご連絡いたします (冷やかしなどの人が入らないよう、面倒ですがご迷惑おかけします)

その他 : プロのシンガーさんによる歌も聴けるよ!

※注意 :
オンラインでの会議は不慣れなもので、いろいろ突発的な問題が発生するかもしれません。オンライン会議で使用するオンライン会議ツールは、Zoomを使用します。

 

申込先 :

【レー シック難民を救う会 】オンライン交流会への一般参加申込書 Survey

から申し込みお願いいたします。

 

記入がつらい場合には:
くろねこ
kuroneko049@gmail.com

へメールいただくか

くろねこのTwitterのダイレクトメッセージへご連絡ください。

twitter.com

 

2020年10月5日にガイドライン違反のグループが勝利的和解

レーシック後の後遺症に関する集団訴訟は、症状やレーシックを受けた病院などに分かれ、小さなグループで個別に訴訟が進んでいました。私は「翔友会 品川近視クリニック」にて、「過矯正」(望んでいる視力よりも強度に矯正されて遠視になった、近くに焦点が合わないなど) にされた、というグループで裁判を闘ってきました。

結果は、2019年3月に勝利的和解となりました。

 

その後、私が所属していたグループとは異なる「ガイドライン違反」のグループが、2020年10月08日 (木) に勝利的和解を勝ち取りました。

レーシックは誰でもが、自由に受けられる手術ではありません。2004年辺りから、日本眼科学会では、屈折矯正手術のガイドラインというものを制定しています。例えば、かなり強度近視の人に対しては、レーシックを受ける際に大きなリスクがあり、原則、勧めないとされています。事前にドライアイと診断されている人も、レーシック実施には慎重になる必要があると記載されています。

しかしクリニック側は、このガイドラインを一切無視し、本来であればレーシックを受けさせてはいけない「ガイドラインでレーシックには不適合とされる人」に、レーシックを勧め、なおかつ、リスクに対する説明すら行っていませんでした。

詳しくは、このグループで裁判を勝ち抜いた、レーシック難民の会、会長さんの記事やニュースを参考にしてください。

裁判において、実名で顔を出し闘うことは、思っている以上に精神的にも、肉体的にもしんどい作業です。本当にお疲れ様でした。

lasikmutualjapan.jimdofree.com

mainichi.jp

www.youtube.com

11:16辺りから、彼女の症状やコメントを実際に聴くことができます。彼女がどれだけ長い間苦しい思いをし、生活にも困難をきたし、仕事も手放さざるをえなかった苦しみを、ぜひお聴きください。私も似たような生活をしています。

私達「レーシック難民を救う会」は、裁判の勝利的和解が目的ではありません。これから、新しいステージでの闘いが始まります。

 

下記の実現に向けて進んでゆきます

  • 視力矯正手術被害者に対しての医療的救済。治療方法の研究などの推進。
  • 視力矯正手術においてのインフォームド・コンセント、特にリスクの説明の徹底
  • 医療広告や医療アフィリエイト、医療関係の紹介権やクーポン券などの法規制
  • 視力矯正手術被害者で、かつ、就労が困難な人に対しての金銭的な救済を要請

 

コロナ禍のなかで

2020年。

私の人生は、転がるように日常がみるみる崩れ落ちてゆきました。今でも、まるでローラーコースターに乗っているような毎日が続いています。

2020年1月末、大切な人を亡くしました。

彼との最後の会話は、口論でした。「あんなひどいことを言わなければ良かったな」と思いつつ、自分のことで精一杯でした。

口論をしてから8日後、突然、救急隊員から私のスマホに電話が入りました。彼が心停止で、救急車で搬送されているという連絡でした。慌ててかけつけた時、彼は警察署の霊安室で冷たくなっていました。署の裏側の冷たい倉庫に、小さな線香が置かれていました。今にも語りかけてくるような、穏やかな顔。

いろいろ事後処理をした後に自宅に戻ると、宅配ボックスにプレゼントが届いていました。

...私の誕生日でした。

誰から来たかも明記されていないブリザードフラワー。亡くなった彼のパソコンの履歴から、それは彼から私に贈られてたものであることが分かりました。

 

それからコロナ禍が始まり、私は大切な人だけではなく、多くのものをこの9ヶ月で失いました。あれよあれよと、砂の城のごとく。

私が日本に移り住んだ15年ほど前から、この国で築き上げたものが、もののみごとに崩れ落ちてゆく現実。

しかし同時に、こんな混乱のなかにあって、亡くなった彼が今でも私を守ってくれているように思います。すべてを無くしたからこそ気づいたこと、彼が多分私を導いてくれたこと、それが今の私を支えてくれています。

 

同じように、このコロナ禍において、大切なものを無くした方が大勢いるかと思いますが、新しい世界と価値観は多分眼の前に、それこそ毎日通勤で使う道に素敵な花が咲いてることに気づかないように、そこに開いています。

一緒に今を乗り越えて、次のステージへ飛躍していきましょう。

 

オンライン交流会で、全国の皆様にお会いできることを楽しみにしています!

レーシックをしてから10年が過ぎた @ Level 2.5

台風15号、そして台風19号の被害に合われた方が、一日でも早く安心して健康に、元の生活に戻れることを心から祈ります。また、24時間以上警戒態勢が続き大雨や強風が吹き荒れる中、人々の安全やインフラを守るために、夜を徹して私たちを守ってくださったすべての皆様に感謝です。

 

仮に、私がレーシックで後遺症を発生していなかったら?

2010年9月にレーシックを受けてから、ほぼ10年という月日がたった。 アラフォーで手術を受けてアラフィフまでの10年を、レーシック後遺症とそれに伴う治療、そして後遺症の裁判など費やし、今はそのフェーズからは卒業。

私はレーシック後に重めの後遺症を発症した本人なので、レーシックをして良かったと思うことはひとつとして無いのだが、手術で全く後遺症が出なかったと仮定した場合、10年後はどうだったのだろうか?

 
視力が急激に戻る

これはあくまで私個人の体験だが、 レーシック直後には2.0まで見えていた眼は、今は下記の程度まで視力が落ちた。

  • 右 : 0.2
  • 左 : 0.5

※術前は右目の方が左目より視力が良かったため、休日は、右目にだけコンタクトを入れるモノビジョンを試している。文字は読みづらい。

今年の1月にインフルエンザに罹り、40度近くの高熱が3日程度続いた後、ゾフルーザで解熱。熱が下がった後、なんだか子供の時の夏休みの朝?みたいに身体が軽くなり、「ひゃっほー、会社あと4日間休める」と起き上がった瞬間に、視力が急激に落ちていることに気づいた。

眼科で精密検査をしたが、問題ないとのこと。視力が下がった方が明らかに身体は楽。しかしここからが問題で、0.7程度見えていた状態から0.2までの視力低下が半年以内で発生していて、このまま行くとあと数年でレーシック前の視力 (0.03が見える程度) に戻るかも。

たとえ後遺症を発症していなくても、ある地点から急激に視力が下がる可能性がある手術なのかもしれない。

 

視力が安定せずに眼鏡やコンタクトを作成しづらい

多くの眼科や眼鏡屋さんをまわって、皆口をそろえて言うのが「レーシックをした人の視力は安定しない」ということだ。遠くも近くも問題なく見えているときは気にならないかもしれないが、老眼がつらくなってきたり、視力が落ちてきて眼鏡やコンタクトが必要になった際、どんな眼鏡を作成してもなんか日によって合わない、という現象が起きやすい。

 

視力が落ちた際、眼鏡が二つ必要になる可能性がある

老眼年齢の方の場合、レーシック後に視力が下がると、近視とともに老眼対策が必要になる。調節能力が残されている人の場合は、かなり近視よりの眼鏡をひとつ作成することでデスクワークができる。ただし運転や旅行など、遠方の視力が必要な際には、遠方がある程度見える別の眼鏡を、追加で作成する事に。

近くをみる作業が主にパソコンでの仕事の場合、遠近両用で対応するのは難しく (遠くを見るレンズが上に来るため、パソコンのモニターが見えづらい) 、結局近く用の眼鏡と遠く用の眼鏡を2本、用意する必要が出てきてしまう。

誰でも当てはまることなのだが、レーシックをした後に急に眼鏡に戻り、それも眼鏡が2つ必要となると、心理的にも金銭的にもきつい。

 

遠近両用のコンタクトは、人を選ぶ

最近では、遠近両用のコンタクトレンズが出てきているが、これは本当に人を選ぶ。実際、眼科でも、合う人と合わない人が顕著に出るコンタクトだという話だった。私も試してみたが、全くもって合わない。自分の度数に合わせた遠近両用コンタクトを試したはずなのに、近くも遠くもぼやけて何も見えず、頭がくらくらしただけだった。

こちらは技術が進むの待つしかない。

 

レーシックをしたクリニックはすでに潰れており、保証期間も切れている

もしも仮に、レーシック後に何一つ違和感や後遺症を感じず、快適な日常を過ごしていたとしても、その状態は老眼や近視の戻りによって、結局終わりを迎えてしまうのではないかというのが私の仮説だ。そして、レーシックの恩恵をうけて眼鏡やコンタクトなしの生活を楽しむことができるのも、10年程度なのではないだろうか。10年たつと手術を行ったクリニックは潰れていたりするし、そもそも保証期間は切れている。

 

で、私の今の状態

上記は、「私が仮に手術で後遺症が全く出ていなかったら」という架空の世界なので、現実はこちら。

  • 視力が急激に落ちたことにより、眼の表面と奥の痛みは、Level 4.5 (9年前) からLevel 2.5 (現在) 辺りまで楽になった。が、どの眼鏡を使えばよいのかが分からず、途方に暮れている。視力低下が短期間に進みすぎて、かつ現在進行形...
  • 遠くも近くも、ただひたすら見えない!眼鏡をかけても見えない!コンタクトでモノビジョンをすると多少楽だが、文字が読めない、仕事はできない!
  • 眼の表面の痛みは、何とか狂わずに我慢できる程度で、症状が定着してしまっている。目薬も、ジクアスをドボドボ注入。ただし、会社を休まなくてはならないような悪寒眼痛戦慄発作が出るのは、年に数回以下に減った。
  • 眼の奥の痛みも10年前より楽になった。が、薬で一生懸命コントロールしている感がある。家では片目に眼帯をしたり、視力低下により裸眼が少し使えるようになったせいか、薬で何とかやり過ごせる程度になった。
  • ドライアイが不思議なほどに治らない。朝起きるときは眼ががちがちに乾いて目やにでべったりして、指で眼をべりべりはがさないと眼が開かない。寝ているときも、深夜に一回は眼の渇きによる痛みで起きてしまい、枕もとの目薬をさしている。日中も、最低でも一時間に一回は目薬。
  • 平日は毎日、薬を使用するようになってしまった。睡眠薬も同じく平日のみ使用。
  • 複視は、あまり気にならなくなってきた。裸眼で近くを見ても、複視はそれほど顕著に感じない。視力が落ちたお陰だろうか?
  • ハログレアとスターバーストは、10年前よりも明らかに悪化している。夜道で段差が見えずに、家の近くで何度も足をくじいたり、電柱に自ら突進してたんこぶが出来たりしている。街灯の光で "目つぶし攻撃" にあった感じになり、全く見えないのだ。
  • 上記の理由で、自転車の運転は自主返納?(自転車所有をやめた) した。車の運転も全くしていないし、今では運転すること自体が怖い。
  • 羞明 (眩しさ) も症状が固定されてしまっている。技術の進歩により、スマホやパソコン画面を暗くするツールや、羞明患者さん用の眼鏡レンズが優秀になってきているので、何とか人類の叡智を結集して生活ができている。
  • 映画やドラマは徐々にみられるようになってきた。元々、大大大の映画好き。再び映画が観られるようになったお陰で、何とか明日への希望を...つないでいる。
  • 反対に本はあまり読んでいない。日本語は、漢字が大きなぐちゃぐちゃした塊に見えてしまうので、読むなら英語。英語の方が、フォントを大きくすれば文字を認識しやすい。英語は永遠に学習中...。

全体的に視力が落ちたことで、以前のような激しい痛みや生活への支障が出ることは少なくなったが、季節的な変動が多い。

正直、10年もこんなことやっているので、ちょっと疲れた。もうレーシックや医療には全く関りたくないと思ったことも数回。でも、治っていないのよね、自分のなかで丸々10年が空白なのよね。仕事だけは死守しようとそりゃぁ頑張ったけれど、それ以外、なーんにも無いのよね。

目標もからっぽ、心もからっぽ、健康や若さは指の隙間からこぼれ落ち、迫りくる病や老いと孤独死への恐怖。

 

... ... でもまぁ、映画があるんですよ。

病に心を蝕まれた人ほど、現実逃避できるファンタジーが必要だと、痛切に思う。

交流会に参加いただき、本当にありがとうございました @ Level 3.3

同じ悩みを抱えた人と顔をみて本音で話せること

2019年5月5日に東京都内で開催された交流会に参加いただいた皆様、本当にありがとうございました。遠方からも多数の方に参加いただき、本当に感謝です。

また、今回は医療問題弁護団の弁護士先生にも参加いただき、法的な視点からの現在のレーシック被害の問題点や、私も参加した一連の裁判の意義、そして今後どのように働きかけていけばよいのかなどのアドバイスをいただきました。連休にも関わらず、先生には会に参加いただき、本当にありがとうございました。単に「ひとりで闘うのはつらいから」と始めた交流会だったのですが、交流会の開催を支えてくださっている皆様のお陰でこのように定期的に開催することができています。

レーシック被害者は孤独です。

いや、レーシック被害者だけではなく、すべての「完治する術が無く、生活に支障が出る致命的な病」を抱えた人は恐怖のトンネル中で、ひとり怯えて孤独に佇んでいると思います。

真っ暗闇です。

テレビを観ても人と話をしても散歩をしても料理をしていても、心の中には恐怖と不安が常に棲みついています。来る日も来る日も朝も夜もネットで症状を検索しては、薄暗い部屋のなかで、まるで時空に閉ざされたような恐怖を感じます。誰がどんな言葉をかけても、明るい太陽の下で深呼吸をしても、孤独と恐怖の魔物は人生と思考を侵食し続けてゆきます。

致命的な病を抱えていない健康な人と、そうではない人と。

その間には大きな大きな壁が立ちふさがっています。たとえ家族であっても恋人であっても。身体がある程度健康で、失業や離婚や失明や痛みや死... ... それ以外の未来が描ける人とそうではない人。

時に頭の中で増殖してゆく魔物は、どんどん大きくなってゆき、もうその魔物としか会話が出来なくなってしまいます。そんな世界のなかに、私はずーっとずーっと棲み続けていました。

唯一、いったん落ち着いて息をすーっと吐きだし、暗いトンネルのなかであっても手元にロウソクを灯して歩き出そうと思えるのは、やはり理解してもらえる相手と話が通じたときです。そうやって今回も、頭のなかの魔物をいったん追い出して、今自分ができる事をひとつひとつゆっくり進め、今という瞬間を精一杯楽しもうと思うことができました。

本当に、皆様ありがとうございました。

次にお会いできるのを楽しみにしています。

 

期待をしない所に宝物が落ちている

交流会のあと、12時間以上かけて地球の反対側へ。その国の人は不親切だとか、その国の食べ物はまずいとか、ホテルにお化けが出るとか、そんな噂だけを聞いていたので、本当に全く期待せずに (むしろあんまり気乗りせず) この街にやってきました。

ところが!

生活して一週間もたたないうちに、この街が大好きになってしまいました。親切に丁寧に対応してくれる人々、障がいを持った人や高齢者が威厳をもってカッコよく暮らしている街、実は愛嬌がある国民性、ベビーカーで公園や街を散歩しているたくさんの家族連れ、各国の料理が味わえる店、焼きたてのパンが並ぶローカルなカフェ、どこへでも行けて案内も分かりやすい地下鉄。

私の人生の場合、ものすごく期待していた事が裏目にでて、全く期待していない事が上手くいく傾向にあるので、これもそのひとつのようです?

 

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スパイ映画にでてくるやつ

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刑事ドラマにでてくるやつ

 

5月5日 (日)の交流会のお知らせ @ Level 3.3

東京にて交流会のお知らせ

レーシックなどの視力矯正手術後に何らかの後遺症・合併症を発症してしまった方や、その家族やご友人などを対象とした交流会を、5月5日 (日) に開催します。

メールにて参加希望のご連絡をいただいた後、こちらから少し確認をさせていただいた後、場所の詳細をご連絡させていただきます。体調次第での参加や、短時間だけ参加も問題ありませんので、ぜひ顔を出していただければ幸いです。

今回は、ほんの少し新しい試みも行ってみたいと思っています。

 

交流会の詳細:
日時:2019年5月5日 (日)
時間:12:10~17:00前まで - 会場は出入り自由です
場所:JR山手線の某駅から徒歩5分以内
参加費 : 1000円から1500円程度
※注意 :
レンタルスペースのみを借りますので、食事と飲みものは各自持参でお願いいたします。ゴミの持ち帰りは必要ありません。会場のゴミ袋へお願いいたします。

二次会:
日時:2019年5月5日 (日)
時間:17:30辺りからを予定
参加費 : 各自食費は割り勘となります

お願い :
二次会は17:30以降、居酒屋での開催を予定しています。二次会に参加希望 (あるいは二次会だけの参加)の場合は、人数の把握のために「二次会参加」と明記をお願いいたします。

締め切り:
2019年4月19日まで

問い合わせ先 :
くろねこ
kuroneko049@gmail.com

 

レーシックの被害者会ということで、たまにちょいと変な人?が紛れ込んでくることがあります。事前の質問など、参加へのハードルが少し高いのはご了承ください。すみませんっ。

 

 

年号変更とともに

私の人生は、この数ヶ月で少し変わりました。

1月に罹ったインフルエンザの後になぜか視力が急激に落ち、近用と遠用の眼鏡を総とっかえ。福沢諭吉様が湯水のように消えました。行きつけの眼科へかけこみ、精密検査を行ったのですが、なぜインフルエンザの後に視力が急に落ちたのかはわからないということで。

私はずっと、近視寄りになれば眼の痛みは楽になると思っていました。術後に遠視寄りだった時と比較すると、Level 5.0〜4.0辺りの激痛が、今では3.0〜3.5辺りにおさまっているので、かなり良くなってきています。ただし、根本的な痛みはまだ和らいでいないのが現状です。眼の違和感はいつもそこにあります。

 

... ... 過矯正だけが、私の症状の根本的な原因ではなかった ??

 

私たちが提訴した時代は「過矯正」を軸に論点を組み立てていくしか術がなく、また私自身も「過矯正」が主な原因であると思っていた事は事実です。その先の原因ー例えば角膜神経痛、斜位などー を、裁判で勝訴できるほどに明確に組み立てていくのは、レーシック治療最先端のアメリカでも困難なのが現状です。

 

私の眼の症状は、緩和されましたが完治はありません。

共存するしかありません。

今は。

 

 

その事実を突きつけられたとき「被害者」であることを辞めようと思いました。その決断が、自分の内面にも生活にもちょっとした変化を生んだと思っています。

新しい仕事と生活が、そろそろ始まります。