くろねこの涙

レーシック難民になってからの記録

2020年11月29日 (日)にレーシック難民のオンライン交流会を開催します @ Level 3.5

オンライン交流会のお知らせ

レーシックなどの視力矯正手術後に何らかの後遺症・合併症を発症してしまった方や、その家族やご友人などを対象としたオンライン交流会を、11月29日 (日) に開催します。

コロナ禍において、初めてのオンライン交流会となりますが、日本全国からZoomで参加いただければ幸いです。

メールやTwitterにて参加希望のご連絡をいただいた後、こちらから少し確認をさせていただいた後、オンライン会議へのアクセス方法をご連絡させていただきます。

 

オンライン交流会の詳細:
日時:2020年11月29日 (日)

時間:14時からZoomで開始

会議へのアクセス方法:確認後に個別にご連絡いたします (冷やかしなどの人が入らないよう、面倒ですがご迷惑おかけします)

その他 : プロのシンガーさんによる歌も聴けるよ!

※注意 :
オンラインでの会議は不慣れなもので、いろいろ突発的な問題が発生するかもしれません。オンライン会議で使用するオンライン会議ツールは、Zoomを使用します。

 

申込先 :

【レー シック難民を救う会 】オンライン交流会への一般参加申込書 Survey

から申し込みお願いいたします。

 

記入がつらい場合には:
くろねこ
kuroneko049@gmail.com

へメールいただくか

くろねこのTwitterのダイレクトメッセージへご連絡ください。

twitter.com

 

2020年10月5日にガイドライン違反のグループが勝利的和解

レーシック後の後遺症に関する集団訴訟は、症状やレーシックを受けた病院などに分かれ、小さなグループで個別に訴訟が進んでいました。私は「翔友会 品川近視クリニック」にて、「過矯正」(望んでいる視力よりも強度に矯正されて遠視になった、近くに焦点が合わないなど) にされた、というグループで裁判を闘ってきました。

結果は、2019年3月に勝利的和解となりました。

 

その後、私が所属していたグループとは異なる「ガイドライン違反」のグループが、2020年10月08日 (木) に勝利的和解を勝ち取りました。

レーシックは誰でもが、自由に受けられる手術ではありません。2004年辺りから、日本眼科学会では、屈折矯正手術のガイドラインというものを制定しています。例えば、かなり強度近視の人に対しては、レーシックを受ける際に大きなリスクがあり、原則、勧めないとされています。事前にドライアイと診断されている人も、レーシック実施には慎重になる必要があると記載されています。

しかしクリニック側は、このガイドラインを一切無視し、本来であればレーシックを受けさせてはいけない「ガイドラインでレーシックには不適合とされる人」に、レーシックを勧め、なおかつ、リスクに対する説明すら行っていませんでした。

詳しくは、このグループで裁判を勝ち抜いた、レーシック難民の会、会長さんの記事やニュースを参考にしてください。

裁判において、実名で顔を出し闘うことは、思っている以上に精神的にも、肉体的にもしんどい作業です。本当にお疲れ様でした。

lasikmutualjapan.jimdofree.com

mainichi.jp

www.youtube.com

11:16辺りから、彼女の症状やコメントを実際に聴くことができます。彼女がどれだけ長い間苦しい思いをし、生活にも困難をきたし、仕事も手放さざるをえなかった苦しみを、ぜひお聴きください。私も似たような生活をしています。

私達「レーシック難民を救う会」は、裁判の勝利的和解が目的ではありません。これから、新しいステージでの闘いが始まります。

 

下記の実現に向けて進んでゆきます

  • 視力矯正手術被害者に対しての医療的救済。治療方法の研究などの推進。
  • 視力矯正手術においてのインフォームド・コンセント、特にリスクの説明の徹底
  • 医療広告や医療アフィリエイト、医療関係の紹介権やクーポン券などの法規制
  • 視力矯正手術被害者で、かつ、就労が困難な人に対しての金銭的な救済を要請

 

コロナ禍のなかで

2020年。

私の人生は、転がるように日常がみるみる崩れ落ちてゆきました。今でも、まるでローラーコースターに乗っているような毎日が続いています。

2020年1月末、大切な人を亡くしました。

彼との最後の会話は、口論でした。「あんなひどいことを言わなければ良かったな」と思いつつ、自分のことで精一杯でした。

口論をしてから8日後、突然、救急隊員から私のスマホに電話が入りました。彼が心停止で、救急車で搬送されているという連絡でした。慌ててかけつけた時、彼は警察署の霊安室で冷たくなっていました。署の裏側の冷たい倉庫に、小さな線香が置かれていました。今にも語りかけてくるような、穏やかな顔。

いろいろ事後処理をした後に自宅に戻ると、宅配ボックスにプレゼントが届いていました。

...私の誕生日でした。

誰から来たかも明記されていないブリザードフラワー。亡くなった彼のパソコンの履歴から、それは彼から私に贈られてたものであることが分かりました。

 

それからコロナ禍が始まり、私は大切な人だけではなく、多くのものをこの9ヶ月で失いました。あれよあれよと、砂の城のごとく。

私が日本に移り住んだ15年ほど前から、この国で築き上げたものが、もののみごとに崩れ落ちてゆく現実。

しかし同時に、こんな混乱のなかにあって、亡くなった彼が今でも私を守ってくれているように思います。すべてを無くしたからこそ気づいたこと、彼が多分私を導いてくれたこと、それが今の私を支えてくれています。

 

同じように、このコロナ禍において、大切なものを無くした方が大勢いるかと思いますが、新しい世界と価値観は多分眼の前に、それこそ毎日通勤で使う道に素敵な花が咲いてることに気づかないように、そこに開いています。

一緒に今を乗り越えて、次のステージへ飛躍していきましょう。

 

オンライン交流会で、全国の皆様にお会いできることを楽しみにしています!