くろねこの涙

レーシック難民になってからの記録

進化とはわからないほどにゆっくりと @ Level 3.5

レーシック術後の強度ドライアイや眼精疲労の後遺症に関し訴訟をしていたグループが、3月22日に、勝利的和解を勝ち取りました。原告の皆様は重い後遺症を抱え、そのうえ裁判の準備など苦労がたえなかったと思います。

本当にお疲れ様でした。

 

皆様のお陰で、まだ裁判中である私達も勇気をいただくことができました。

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... ... 私の眼は見えづらくなってきている。

私の場合、後遺症がレーシック後の眼の表面と奥の痛みが主な症状なので、見え方に関してはぶっきらぼうな言い方をすると「二の次」。とにかく痛みが治れば人生は改善すると思っていたし、今も思っている。しかし、レーシックをしてからほぼ8年がたち、痛みは確かに少し和らいできたが、痛みの谷間の瞬間、劇的に視界が悪くなっている事に気づく。

 

会社で8と6や3と8の数字を間違えて迷惑をかける、エレベーターの閉と開の漢字が読めなくて目的とは別のボタンを押し続けている、というのは序の口で、今では、電車の行き先を示す電光掲示板の文字が光りまくって読めず、もう自分で確認することを諦め、音声案内に頼ったり、知らない場所では駅員さんに最初から聞くことにしている。デパートなどで洋服を選ぶことは遠い昔に諦めた。もっぱらオンラインの通販に頼りきり。

見え方の問題であれば眼鏡を調整すれば良い、と思うかもしれないが、それがどうも簡単ではない。日によって眼位 (眼のずれ) が異なり、羞明 (眩しさで痛みが悪化する) がひどい、眼の調節機能もほぼ無いので、結局、仕事を優先してパソコンが見えやすい眼鏡に頼るしかなくなってしまう。遠方視力を出す眼鏡を使用すると、30分程度で激しい眼の痛みに襲われる。

 

まぁこんな暮らしを数年続けていたら、不思議なことに気がついた。

見ることを諦めた代わりに、他の感覚が少しずつ向上してきたのだ。臭いや匂い、雰囲気、勘、触覚、音、流れみたいなものだろうか、それをキャッチする脳のシナプスが不思議な関わりを持つようになった。

 

先月、レーシック後初めて映画館へ足を運んだ。

案の定、開始から30分もたたない時点で眼が痛くなり始め、画面を追うのが難しくなってきた。少し眼を閉じたりしながら画面を追うのをあきらめ、

ただ映画の雰囲気や音声や色に感覚を合わせていた... ... ...

すると視覚以外のところで、映画に焦点があったのだ。この「水の形」はこの「気持ち」を現していたのだとか、特定の音楽や色が意味するものとか、それを触覚のようなもので理解することができ、とあるイメージが別の個人的な記憶や音楽などと瞬時につながり、何か自分でも少し自分の身体の変化に驚いた。

 

人はひとつの能力が衰えると、

それを別の能力や感覚が補うのだと。

ただし、

痛みはそれを瞬時に奪い去る。

 

 

さて、GWに入り「交流会は、今年はやらないのですかぁ」というお問い合わせを何件かいただきました。本当にすみません。仕事が忙しすぎたり体調を崩したりと、気がついたらもう4月になってしまっていて、交流会の企画をする余裕がありませんでした。

他の被害者会のメンバーさんと日程を調整しながら、また交流会を企画しますので、ゆっくりとお待ちいただければ幸いです。