後遺症の時限爆弾 @ Level 2.5
遠近プリズム眼鏡のおかげなのか、
それとも体調が良いのか、
涼しくなってきたせいか???
ほんの少し、眼調が良い本日です。
レーシックの後遺症について考えるときに、
いつも不思議なのが、
術後すぐに後遺症を発症するケースもあれば、
術後数年たってから、突然後遺症を発症する人も居る事です。
私の場合はこんな感じでした:
術後1日目から4ヵ月目まで
術後一番症状がひどく、会社も休みがちだった、最も最悪な時期。
- 眼の表面の痛みがひどく、Level 5を超える状態。
- 術後1ヵ月は、救急車を呼びたくなる程の激痛が眼の表面のみに発生。
- 肩こり、首こり、眼精疲労、頭痛、吐き気が毎日続き、投薬治療を行う。
- 眼の痛みから、睡眠薬を使用。
- 目薬を滝のように使用。
- 眩しくて、屋内でもサングラスを使用。
- 随時、風よけにクリニックからもらった保護眼鏡を使用。
- 仕事も休みがち。半休などをよく取っていた。
- 見え方にはそれほど問題が無かったが、医者に勧められてパソコン使用時のみ +1.0 の老眼鏡を使用。
術後5ヵ月から1年2ヵ月頃まで
比較的、眼の表面の痛みなどの後遺症が少なかった時期。もうこのまま治癒するのではないかと楽観的で、難民だとは自覚していなかった。
- 涙点プラグや目薬などの治療が比較的効いていて、Level 3以上の眼の表面の痛みはほとんど出ていない。出張中に数日間、激痛が発生したのみ。
- 眼の表面の痛みが安定していたので、老眼鏡もパソコン使用時のみ。
- 肩こり、首こり、眼精疲労、頭痛は相変わらずだったため、痛み止めを飲み、マッサージに通う。
- 眩しさも相変わらず。
- 目薬は相変わらず大量に使用。
- 風にあたると眼が痛いので、保護眼鏡を継続使用。
- 睡眠中に眼が痛くて起きることが多いので、睡眠薬は継続。
- とにかく仕事が忙しかった。
1年3ヵ月頃から現在の2年1ヵ月目まで
ある程度コントロールできていたはずの痛みが、坂を転がるように悪くなり、どんな治療も全く効かなくなった。激痛がちょくちょく発生。同時に近距離に焦点が合わせられなくなってきた。
- レーシック難民である事を、内外ともに自覚!
- 1年3ヵ月頃から、完全な難民生活へ突入。眼科巡り開始。どんな治療も効かなくなる。
- 1年7ヵ月頃、眼の表面の痛みの症状がどん底。手の施しようが無くなり、レーシック被害者の会に助けを求める。
- 近距離に焦点を合わせるのが難しくなってきたため、常時眼鏡を使用するようになる。現在では、常に遠近両用プリズム眼鏡をかけている。
…とまぁ、こんな感じです。
私の場合、眼の角膜表面の痛み・激痛というのは、
レーシック手術を行った次の日から
1日も休むことなく!継続的に発生し続けています。
ただし、術後5ヵ月から1年2ヵ月頃までの1年間にあたる期間は、
ある程度治療で痛みをコントロールすることが出来ていました。
この時期、激痛で眼を開けられない、
という事はほとんどなかったのです。
眩しさ以外の見え方にも、ほぼ問題がありませんでした。
それが、術後1年3ヵ月頃に、
突然坂を転がり落ちるように後遺症の症状が悪化したのです。
どんな治療も、どんな薬も、
全く効かなくなりました。
老眼が始まった?
眼の調整力が限界に達した?
ストレス?
更年期障害?
…お医者さんにはいろいろ言われましたが、
皆、ストレスか老眼か加齢で片付けようとします。
でも、この意味の分からない後遺症の時限爆弾は、
もっともっと若い患者さん(難民さん)にも発生しています。
この時限爆弾は一体何?