くろねこの涙

レーシック難民になってからの記録

なぜレーシック後遺症患者が訴訟を躊躇するのか、の私的考察 (1) @ Level 3.5

レーシックで後遺症を発症した患者 (通称レーシック難民) は、なぜもっと積極的に訴訟などの法的手段をとらないのか?と良く聞かれます。今日から2日ほど、「なぜレーシックによる被害者が、法的手段をとりにくいのか」について、書いてみたいと思います。

 

1) 自己責任という重圧

下記のような認識により、レーシック難民は、そもそも声をあげる事を躊躇している人が多いと思います。
 
レーシック手術は、治療には健康保険が適用されず、自由診療とされている角膜屈折矯正手術だ。要は「病気」ではなく、個人が個人の選択の上で「あえて必要が無い」その手術を行う事を選択したのだから、後遺症が出たとしても病院側に文句が言えない。すべて自己責任なのだ。
 
....この思い込みや、恥の気持ちが最初のハードルです。
自由診療とは単に、「保険が使えない医療や施術」という意味で、「全部自己責任」という意味ではありません。自由診療のなかには多数の医療が含まれ、美容整形やレーシックだけではなく、出産や予防接種、人間ドッグ、癌の先進医療、一部の歯科治療などが含まれます。

最先端技術を使った治療、病気とは認定されていない症状の治癒、国内では未承認の薬の投与などが「自由診療」に含まれているだけの事で、自己責任とは全く関連がありません。現に、予防接種や出産分娩で病院側のミスにより後遺症を発症した場合、訴訟を起こすことは可能ですし、「自己責任」とどっぷり悲観する必要がないのと同じ事です。
 
これは患者個人の気持ちのうえでのハードルですが、次に、ほんの少しやっかいなハードルが待ち構えています。

2) 術前の同意書
次のハードルとなるのが、手術前に署名をしてしまった同意書の存在です。
レーシックの手術をした方は、必ず術前にクリニック側が提示する同意書に署名をしたと思います。
 
その項目のなかに必ず
「レーシックでは説明した後遺症以外に、予期しない後遺症が発生する可能性がありますが、その可能性については医師の説明を受けて同意したことになります。最善を尽くしたにもかかわらず、ご満足頂ける結果とならない可能性があることをご了承下さい」
みたいなものがあり、それに同意したうえで手術を受けてしまっています。
 
しかしよく考えてみると、胆石摘出や白内障手術や盲腸手術などの保険適応医療の手術であれ、手術前に同じような同意書に署名をします。ですので、同意書は確かに面倒な存在ではありますが、これが訴訟などのボトルネックになっているわけではありません。
最大の理由は次の問題です。
 
3) レーシック難民が体験している後遺症とレーシック手術との関連性を、医学的に立証できない
 レーシックの後遺症問題を、訴訟などの公の舞台に引っ張り出すことができない最大の問題が、
 
「レーシック後遺症患者が体験している後遺症とレーシック手術の関連性を、医学的に立証できない、あるいは立証に誰も協力してくれない」
という点です。

例えば私の眼の痛み。
 
レーシックをするまではドライアイすらなかった、全く健康なド近眼の眼でしたが、レーシックをしたその日から眼の表面の激痛が続いています。私のなかでは、体感的に「レーシックをしたから眼の表面が痛み出した」という証明ができています。

しかし、それを私以外の誰ひとりもが第三者の立場で立証できない (あるいはする気が無い)...  例えば私が、ここで壮大な「眼が痛い痛い詐欺」をしていたとしても、誰もそれを証明できないのです。
 
あなたの痛みの存在と、その痛みの発生原因と近視矯正手術 (ex. レーシック) の関連性を、自力で世間に証明せよ。
...これが最大の難関なのです。
 
今のところ「眼の表面の痛み」を医学的に立証・数値化する手段は皆無です。
よって、訴えるために一番大切な「証拠」が出せない。
 
「証拠」がない訴えは誰も耳を貸さない。
 
医者に相談しても、
はぁはぁ、精神疾患ですねノイローゼですね、
加齢に過労ですね、
40越えたら、不定愁訴はみな加齢、
レンドルミンだしておきますね、
ロキソニンだしておきますね、
デパスだしておきましょうか、
...で眼瞼けいれんになってしまう??
 
これは相当、負のスパイラルです。
 
訴訟が難しい理由、まだまだ続きます。