くろねこの涙

レーシック難民になってからの記録

顎が突然開かなくなったその後と、放浪生活 @ Level 4.8

ほぼ半年前辺りから巻き込まれていた面倒事がさらにやっかいになってしまい、現在、都内をプチ放浪 ? するという事態に陥っています。

これからしばらく、インターネットに接続できない状態が続きますので、更新が不定期になります。その為、いただいたコメントにも、全然回答できず本当に申し訳ありません。ただ、ちゃんと元気をいただいています!ありがとうございます。

巻き込まれた面倒事は、レーシックと直接的な関連性はありません。

ただレーシック被害の後、私自身の生活が一変し、生活や仕事のスタイル、人生の方針、お金の使い方も大幅に変更しないといけなくなったため、その副作用という形で周りの人間関係に大きなヒビが入ってしまいました。そのため、このような大きなトラブルに発展した可能性も否めないなと思います...。

逆に言うと「健康でずっと働けるという前提で築き上げたものをいったんゼロに戻し、レーシック後の体調・眼調不良と不安を抱えた身体を前提に、今の自分に適した新たな人生と人間関係を再構築できる」とても良い機会になったともいえます。

今、この巻き込まれたトラブルの詳細を書くことはできませんが、レーシック被害を抱えた人以外にも役に立つ内容が含まれていると思いますので、落ち着いたら別コーナーでちょっぴり公開してみたいとも思っています。

 

さて肝心の顎ですが、口腔外科のある大きな病院へ行き、正式に「顎関節症」という診断を受けました。週に2日、レーザー治療とマッサージをするだけで、他に目立った治療は行っていません。発症してから1ヵ月以上たった今、肉やフランスパンなどの固いもの以外の食べ物は、何とか食べられるようになりました。ただ、痛みはまだ続いています。

口腔外科の先生曰く、眼精疲労やパソコン作業などで眼を酷使すると、眼からつながる顎の筋肉に負荷がかかり、顎関節症になるというのは良くあることだそうです。なので、レーシックで合わない視力になり、眼精疲労がひどくなり、その眼精疲労によって顎に症状が出るというのは考えられない事ではないそうです。もちろん、レーシック手術が成功し身体にあった視力になった人の場合は、眼精疲労もそれほど起こらないので、顎関節症の心配もありません。

 

...折角少しはまともなものが食べられるようになったのですが、冷蔵庫も電子レンジも無く、風呂も共同な安宿に避難しているせいで(涙、麺以外のまともな食事にありつけていないのが悲しいところ。

あと数日で、もう少しまともな所に移動できる手筈が整っているので、しばらく東京のアンダーグラウンドで放浪を続けます。

顎が突然開かなくなった (顎関節症?) @ Level 4.7

ある朝目覚めたら、口が全く開かなくなってしまいました。
まだ病院へ行っていないので病名は分かりませんが、顎関節症とかそういうのだと思います。顎が一時的に外れた?可能性もありますが...ただ1週間以上たっても良くならないので、とりあえず早急に病院へは行こうと思います。
レーシック後遺症と、顎関節症などを含めた顔や顎の痛みの関係性は、まだ医学的には解明されていません(解明しようというお医者様も居ないというのが実情)。ただ、「レーシック難民を救う会」に所属されているレーシック被害者の方でも、レーシック後に顎の痛みや噛み合わせの不調、顎や顔全体の痛みを訴える方が確かにいます。有名なレーシック難民の染井氏バッジョ氏くろちゃんさんも (マッサージ方法勉強になりました!) 明らかに顎や顔面の痛みを訴えているので、全く関連性がゼロとはいえないような気もしています。

 

■ 発症当日

朝起きたら、明らかに口が開かない。ほんの少し口を開いただけで、左の顎(耳の下辺り)に激痛発生。出勤前に歯を磨こうとして、驚愕の事実!歯ブラシが入らない!1cmも口が開かない!無理やり開こうとすると、左顎にかなりの痛みが発生し、顔の左側に激痛...。口を開こうとしなければ痛みもなく、平静を装っていられる。顎が動かなくても(発音はおかしいが)話はできるので仕事は何とかできる。
非常に困ったのが食事。とにかく、口が開かないのでストローで注入。飲むヨーグルト、野菜ジュースで1日しのぐ。おかゆなどを食べたくても、スプーンが口に入らない。カステラなどを買っても、カステラをちぎって潰して、平たい状態にしないと口に入らない。一切ものを噛むことができない。
産まれて初めての経験だったので、とにかく数日間は「唖然としたまま」、自分の身体に何が発生したのかを理解することもできず、ぽかーんとしている状態。
口がほとんど開かず、開こうとすると左顎に激痛がはしる以外は至って元気なので、本当に「何が起きたんだ???」と唖然としたまま、仕事の忙しさにかまけて数日が過ぎてしまう。

 

■ 3日目
顎が開かないことに段々慣れてくる。
赤ちゃん用の歯ブラシを買って、それを押し込みながら歯磨きとマウスウォッシュ、最後に歯間ブラシ。食べ物は、細かく砕いた豆腐、相変わらず飲むヨーグルトや野菜ジュース、そしてチキンラーメン
チキンラーメンを器に入れ、たくさんお湯を注いで10分以上置くとふやけて柔らかくなる。それを先のとがった箸で、5本ずつ口に押し込み咀嚼。チキンラーメンを1杯食べるのに1時間以上かかる。
ネットで病院などを探すが、「顎関節症の治療で歯を削った後にますます症状がひどくなった」「歯型のプレートなどを入れた後、ますます顎がおかしくなった」などの記述をみて鬱。なんだか、レーシック後の後遺症治療と同じ雰囲気を感じて病院へ行く気が失せる。どうもこちらの症状も、病院選びが重要な気がしてくる。

 

■ 5日目
顎が1cm位は開くようになってきたが、相変わらず痛みが強くて咀嚼ができない。どうしても仕事で外せない接待があり、「何事もなかったかのように」ふるまおうとしたが、最初の1分で挫折。前菜の中に入っていた野菜を噛んだとたんに左顔面に激痛が走る。あきらめて、赤ちゃん用スプーンと、てんこもりの卵豆腐と茶わん蒸し(具無し)を用意してもらい、それでしのぐ。
左顔面をかばうように生活しているせいか、首や肩、背中などにもかなり強い痛みが出てきて、仕事をしているのも苦痛。そろそろ諦めて薬を飲むか、病院へ行かないとなぁと降参モード。

 

■ 8日目
1.5cm位は顎が開くようになってきたが、相変わらず咀嚼ができない。液体食をして1週間以上たったせいか、体重もかなり減ってしまった...。無理やり固いもの(といっても普通の固さの冷やし中華の麺程度の固さ)を食べると、食べた後の数時間、かなり左顔面が痛むので、段々、ものを噛むことに恐怖を感じ始めてくる。

長引きそうなので、モールの介護センターへ出向き、介護用のスープ食を買ってくる。ジュース系の飲み物と炭水化物しか食べていなかったので、ひたすら介護食が美味に思える...。
相変わらず、左半身が痛い、顔面・首・肩・背中が張っていて痛みで寝るのも辛い。諦めて病院へ行ってこようと思っている。

 ↑今ここ

 

レーシック、怖すぎる...首から上が壊れていく。
どこまで頑張ればいいのだ?

どこまで痛みに耐えればいいのだ?

上記の顎や左顔面、左上半身の痛みに耐えながら、同時に並行で、眼の痛みにも耐えているわけです。何だか、電車に突発的に飛び込む人の気持ちが分かる日々です。

単なるストレスかもしれませんが、レーシック後遺症自体がもうストレス以外の何物でもありません。

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フィレステーキが食べたい。野菜炒めが食べたい。焼き鳥が食べたい。タイカレーが食べたい。お寿司が食べたい。サラダが食べたい。おにぎりが食べたい。サンドイッチが食べたい。焼き魚が食べたい。チョコレートが食べたい。お腹減ったよ...外食が一切できないよ。

 

山は登るよりも降りる方がつらいんだな @ Level 3.8

とにかく、このゴールデンウィークは自分の歴史に残る、つらい数日だったような気がする。多分、一生この数日の事は思い出したくない。

東京中をぐるぐる徒歩で歩いて、次に住めそうな場所を探した。変な不動産屋にも出くわしたし、休み中だというのに数分で次々と内覧の予約を入れてくれるやり手の営業さんにも出会った。...落ち着いたら、この不動産探しの事についてもブログで書いてみようと思うけど。とにかく、毎日毎日サングラスをして、薬は飲まずに!、ただひたすら歩き回っていたような気がする。

精神的・肉体的なつらさの限界がきて、何度も記憶が飛び飛びになっている。川沿いのベンチにぼんやり座り込みながら、気が付いたら夜になっていて、泣いていたことも何度もある。眼が痛い、住むところが無い、いろいろやばい!はぁ。

でも、自分が動かなければならない。自分が動かなければ、安らげる場所も仕事も、なによりも大切な健康も、指の隙間からどんどんと零れ落ちてゆく。

眼が締め付けられるように痛い。コンタクトレンズが一番楽だけど、5時間程度の装着が限界だ。コンタクトを外すと、そのあとに拷問のような眼の表面の痛みと、眼を開けていられない眼の奥の痛みが押し寄せてくる。コンタクト装着後の痛みが一体何なのか、全く分からない。

日によって、プリズム遠近眼鏡が全然合わない日もあるし、裸眼の方が楽な時間帯もあるし、プリズムの入っていない老眼鏡の方が楽な日もあるし、なにをどうしようと痛くて痛くて世をはかなむ日もあるし。自分の眼だけが、身体から分離して暴走している。何も楽しめないし、あれほど元気だった身体すら動かないし、とうとうメンタル的にもう限界が来たのかと思ってしまう。

...いったん離脱するしかない。この戦いから。いったん登った山を下りて、自分の生活を建て直し、また挑戦する機会をうかがうしかない。いろんな意味で、人生の再出発。

おかげさまで、次に住むところが見つかりそうだ。感謝!

それに、毎日毎日飽きずに不動産のサイトを観ていたら、何とブログ更新の際に、レーシックの広告が出なくなったよ、不動産の広告が表示されているよ。良かった。引っ越し先が決まった後も、どんどん不動産のサイトをクリックすることにしよう。

夜明け前の暗闇で @ Level 4.5

引っ越しをしなければならない。

面倒なこと (英語で言うと Challenges !!) が重なり、やらなくてはならない事、自分で決められない事、自分で決められる事、が網の目のように絡まって、ただ分かっていることはここから数か月以内に出ていかなければならないという事だ。

私にとって今、何よりも大切なのは収入源の死守と健康の維持、そして眼の痛みが激痛にエスカレートしない環境を、せめて自宅では確保する事。それ以外の事に時間を割いたり、エネルギーを注ぐ余裕が全くない。本当に、全くない。

夜、仕事から帰宅したら、料理も作るし、中国茶を淹れるし、お酒も飲むし、スーツにアイロンもかけるし、洗濯もするし、筋トレもするし、掃除もするし、お風呂でゆっくり歌も歌うし、音楽をずっとかけているし、眼の調子が良ければ録画したドラマや映画も観る。ただ、私のこれらの生活は、すべて暗闇の中で行われている。真っ暗な暗闇のなかで。真っ暗ななかで、私の毎日はひとつひとつ進んでいる。電気、特に蛍光灯の白い色は、仕事で疲れた眼にとっては拷問だ。

...レーシック被害にあって、私は人と生活をともにすることが出来ない身体になってしまった。他人と空間を共有することを前提として選んだ、今の家では、もう生活の維持ができなくなってきてしまった。レーシック前に培った、ここでのプライベートな人間関係も、今では単に崩壊してしまっている。

...何という事だろう。きっとかなり昔からこの日が来ることは分かっていたのに、自分はずっと眼をそらし続けてしまった。

まず、独りで立ち上がるのだよ、独りでしか生きられないんだよ。

暗闇の中でしか生きられない、それが事実なんだ。

 

東京は広い。

広いのに選択肢が無い。

同じようなお部屋たち、同じような間取り、緑も青空も無い空間と、同じようなコンビニ、どこまでも続く灰色のビル。職場まではとてつもなく時間がかかり、収容所のような通勤がもれなくついてくる。

ターミナル駅のコンコースで、いろんな所へ発車してゆく電車の電光掲示板を見ながら、本当にくらくらと眩暈で倒れそうになってしまった。

ここからどこへ行くのか?どこで暮らすのか?どうやって探せばいいんだろう?どうやって決めればいいんだろう?

五反田?錦糸町?目黒?渋谷?池袋?吉祥寺?幕張?熱海?鎌倉?本八幡

海があるといいな、海もいいけど緑が欲しい。

 

この苦しみは、夜明け前。この暗闇の先に、今まで見たことも無い、素晴らしい朝日が昇ることを信じて。

 


Coldplay - Midnight - YouTube

Landing is Launching @ Level 5.0

飛行機を乗り継いでも乗り継いでも、繰り返し朝が追いかけてくる。飛行機から見下ろす地球は丸くて、地平線を彩る群青色の闇に淡い赤やオレンジの光が射し込み、虹色のグラデーションを描く。このままフライトが、永遠に続けばよいと思う瞬間。飛行機から観る日の出。

 

飛行機のなかで「Gravity (邦題 : ゼロ・グラビティ)」という映画を観た。そのせいもあってか、何だか宇宙に始まり宇宙に終わる旅だった (といっても何が何だか分からないだろうけど)。宇宙に近い上空から地球を眺めていると、資本主義やら金銭至上主義やら、人間が造り出した非人間的なシステムに半ば翻弄され、受ける必要も無い手術を受け、そして痛みにもだえている自分が少し間抜けに思える。

 

飛行機のなかでみたその映画の中で、とても印象的なフレーズがあった。映画の主人公が宇宙に取り残され、地球への帰還をなかば諦めた時、幻のなかにて、亡くなった同僚が助けてくれる場面でのアドバイスだ。

 

"Well...Landing is Launching"

日本語に訳すと、「(ロケットを) 着陸させることは発射させることだ」という意味になると思う。別の解釈に言いかえると、「地に足をつけるということは、行動するのと同じことだ」。

 

レーシック後遺症被害の問題も、それにまつわる利権の争いも、全然終わっちゃいない。レーシックで後遺症を背負った (自分を含めた) 人々が、それぞれ何とか治療方法を見つけていくまで、地に足をつけて、ほんの少しでも行動するしかないのだと思う。「諦めてはならないという意地」が私と地上とを結びつけている命綱なのかもしれない。

 

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レーシック難民向け?、ホテルでもトイレでもできる体操 & ストレッチ @ Level 4.0

またもや、地球の反対側まで大移動。

私の人生の1/3は移動中のような気がするので、今日は趣向を変えて、ホテルでもトイレの中でもできるレーシック難民向け? エクササイズを紹介。ホテル暮らしが長く、移動とレーシック後遺症で身体はぼろぼろ。そんな時に、何とか身体を楽にしようと、いろいろなストレッチや体操を試したところ、ほぼこの基本的な体操に落ち着いた。

動画さえあれば (あるいは動作を覚えてしまえば)、ホテルでもトイレのなかでも仕事の合間でもできるのでお勧めかも。

 

■朝 : 基本のラジオ体操


ラジオ体操第一・第二

朝起きてすぐに、ハードな筋トレやストレッチをすると、筋や関節を痛めやすい。で、何回か痛めてしまった。いろいろなストレッチなどを試したけれど、やはり日本人なのか、朝の体操は定番に落ち着いた。実は結構良くできた体操らしく、全身の筋肉をほぐすことができるらしい。忙しい時は第一だけ、というかほとんど第一しかしていないなぁ...この音楽を聴くだけで、何か取りあえず一日が始められるような気になる。

■昼 : 仕事中にこっそり眼の体操


Yoga eye exercises (ヨガ版 眼の体操)

本当に基本的な眼のストレッチ。

本当に基本的な動きなので、ゆっくり話している英語版にしてみた。英語の勉強をしながら、眼の基本的な体操をしてみるのも良いかも ??

■夜寝る前 : 肩こり解消エクササイズ


ニューストレッチプログラム(あべこべ体操)

機内に缶詰めになり、肩も首もがちがちに吐きそうな位に凝っているとき、たまたま見つけたこの動画。一緒にストレッチをしてみたら、何と!痛みが楽になった。お風呂に入って温まった寝る前に、このストレッチを行い、その後ゆっくり寝ると一番効果的。しかし、動きは若干難しい...

実はこの「ニューストレッチ」シリーズは結構すごくて、痛い箇所に合わせて体操をすると効くので、まとめを紹介。

http://matome.naver.jp/odai/2134570376560274301

 

...以前、首と腰を痛めた状態で飛行機に乗り、約1時間ほどひどい乱気流に飲み込まれたら、なぜか痛みがすっかり無くなったことがある。同じような事が何度かあり、実はこっそり「乱気流には痛みを治す力があるのではないか」と、変な妄想をいただいているのだが、誰も立証はしてくれなさそうだし、残念ながら眼に対してはちっとも効果が無い。

...ということで、眼の痛みが治る良い方法は、やっぱりips細胞を使用した夢のコンタクトレンズしかないのかなぁ。

悪寒眼痛戦慄のその後 @ 右目のみLevel 4.5

前回の悪寒眼痛戦慄について、いろいろアドバイスいただきましてありがとうございました。あれから同じような発作は起きていないのですが、次に起きた時の人体実験用として、

  • 携帯用酸素 - 群発頭痛の緩和に実績があるらしい
  • 葛根湯 - 身体にやさしく悪寒を取る作用があるらしい

を用意しておきました!

アシュトンマニュアルも簡単に眼を通しました。医者が簡単に処方する薬に、このような副作用があることに再度絶望したとともに、同時に、レーシック被害後の眼の痛みを緩和させる方法がベンゾ系の薬か、軽い全身麻酔以外に無いというジレンマ。「無い」と言い切っている背景にはこの3年間の実験結果があります。ありとあらゆる痛みに効く薬を試し、かろうじて若干効いたのがデパスでした。残念ながら、軽い全身麻酔の方は、連続的に行うことができないわけで...。完全にデパスを辞めることは、事実上難しいので、頓服として最低限の量を使いながら、治療法が確立されたら止めていくことを目指します。

ちなみに、行きつけの病院で相談してみたところ:

  • 群発頭痛か、三叉神経の問題の可能性が高いので、次に発作が発生したら、専門の病院へ紹介状を書くとの事。
  • 今飲んでいるデパスの量では、依存しないし離脱症状も起こらない (ただし、これは賛否両論ある)。

とのお言葉でした。新たな病気かぁ...

...先日は、都内でも一気に桜が満開。まだ意識が少しぶっとんでいる叔父を車椅子にのせて、病院の近くの公園に桜を観に行きました。久しぶりに(というか数か月ぶりに)病院から出られた叔父は大はしゃぎ ...。でも、車椅子を押す私の方は...大変なんてもんじゃない!東京の街のつくりは、障がいを持った人に対して、なんて不親切なんだ!これで、数年後にパラリンピックやオリンピックなんてできるのかよ!

車道と歩道のちょっとした段差で車椅子が立ち往生する。体中の力で押し上げようとしても、逆に車椅子がつんのめりそうになるので、ちょっと斜めの角度から押し上げる必要がある。歩道橋でしか対岸に渡れないので、途方に暮れる。歩道に数段の階段があって、前に進めない。歩道に木の根っこがもりあがっているので、車椅子は迂回しないといけない。少し広めの店に入っても、通路に陳列した商品に引っかかって移動ができない。段差でおろおろしている私を助けてくれるのは、いつも中高年の方々。人によっては「ちっ」と舌うちして、邪魔者扱いされる。横断歩道で少しもたもたしていると、車が猛突進して左折してくる...。

ま、不慣れな私もいけませんけどね。でも、少しの親切や余裕があってもいいんじゃないかなぁ。

私が叔父を連れていった公園は観光客の方もよく訪れる、桜スポットではありませんが、別の事で有名な公園です。それなのに公園にたどり着くのも、公園内で散策をするのも、道の整備が車椅子向けではなかったために至難の業でした。

東京都内で車椅子で生活している方にとって、街がこの状態では、なかなか外に出ることが難しいだろうなと、改めてこの歳になって思いました。眼もそうですが、身体に障がいが出て初めて分かる事がありますね...。これでは、障がいを持った人がどんどん引きこもりになるのは、当然です。子供がどんどん減っていくのも、当然です。