くろねこの涙

レーシック難民になってからの記録

レーシックの再手術について @ Level 3.8

「レーシックの後遺症に苦しんでいる」と言うと、必ず聞くのが「再手術して視力を下げたりすれば、治るんじゃないの?」というアドバイス。

再手術。

内臓疾患や整形外科的な病気でも、1回目の結果が芳しくない場合、2度目の手術を行います。私の場合、物理的に角膜を削りすぎて若干遠視、そして "私の身体にとって" 遠くが見えすぎる状態になってしまったのですから、理論的には遠視の人が行う「遠視矯正のレーシック」を行えば良いわけです。

遠視から逆に近視に戻し、ターゲットの視力を 0.6 ~ 0.7 辺りに設定して再手術し、遠くの視力は眼鏡で補えばよい。計算上では再手術により近くが見えやすくなり、眼の調節能力の負担も減り、痛みの後遺症は楽になるはずです。ターゲット視力の微調整が難しいなら、レーシック前の 0.1以下の視力に設定し、一生ド近眼眼鏡生活でも良い。とにかく痛みが治るなら、一生眼鏡であっても、容姿がさらに残念なことになっても良い。

眼科巡りを行いながら、私は訴え続けました。「先生、今回はリスクを覚悟のうえでなのですが、再手術をしてもらうことはできないのでしょうか?何とかならないでしょうか?」

私がレーシックを最初に受けた Xクリニックを含めて、7つのレーシックを行っている病院にて再手術が出来ないかと訴えましたが、どこの病院でも「リスクが非常に高いので絶対にお勧めしない」との答えが返ってきました。

後遺症患者さんの年齢や状況、ライフスタイルにもよりますが、その7つのクリニックで聞いた再手術のリスクをまとめてみました。

 

■ レーシックをした後の、視力を落とす手術は技術的に難しくハイリスク

昔は一部の眼科にて、レーシック後の遠視矯正手術を行っていたようなのですが、今では美容系レーシッククリニックを含めて、微調整を目的とした遠視矯正の再手術は積極的に行っていないようです。術後に、明らかに異常と思われる +3.0 ~ +5.0 などの遠視度数になっている場合には、再手術を行う場合もあるようですが、私のようにデータ上 +0.5 ~ + 1.0 辺りの遠視度数では、手術の範囲外となります。どこへ行っても、「視力を落としたからと言って痛みの症状が良くなる保証はどこにもないですし、逆に近くも遠くも見えなくなくなる可能性も高いです。くろねこさんの再手術は絶対にウチではやりません。」という反応...

 

■ 年齢の問題 (現在私は40代前半) により術式が選べない

後遺症のどこまでが「自然的に発生している老眼」で、どこまでが術後の「遠視や過矯正によるもの」で、どこまでが「(もしかしたら) 先天的にあった眼の調節能力 ー特に眼を寄せて近くを見る輻輳と呼ばれる機能ー の問題」なのか、の線引きが非常に難しい。特に私の場合、同じ年齢の人と比べて明らかに眼の調節能力が弱く、レーシックによる眼精疲労で調節障害が起きているのか、先天的に調節障害があったのかの原因特定がほぼ不可能な状態です。なので「遠視矯正」をすればよいのか「老眼レーシック」をすればいいのか、あるいはそれ以外の特殊な矯正手術なのか...が特定できず、よって病院側も術式が選べないのです。

 

■ 角膜神経痛がさらに悪化する

ここ数か月、レーシック後の後遺症の話をすると、かなりの割合で角膜神経痛のことを知っている先生に出会うようになりました。もしかしたら、日本の学会でも取り上げられているのかもしれません。複数の病院で言われたことは、「もしも眼の表面の痛みの原因のひとつに角膜神経痛があった場合、再手術によりさらに悪化する」という事でした。角膜神経痛は、角膜の神経を切断することによって発生する病気のため、再手術でさらに切断すると、以前より強い痛みを発症する場合があるようです。

 

■ 角膜を今は温存して未来の技術に期待し、白内障に備える

眼の痛みの確固たる原因も分かっていない状態で再手術をすると、角膜の厚みはさらに減ります。角膜の厚みが減ると、3度目の手術は ーそれがいかに画期的な手術であってもー 角膜を削るタイプのものであった場合には、出来なくなってしまいます。また年齢的に、将来白内障などの病気にかかって手術をする可能性が高い状態です。白内障手術をする際には、人工のレンズを眼に挿入する形になります。そのため再手術のリスクをとらずに、白内障手術の際にレンズで視力を落とすことが可能になります。ただしその場合、私の眼の状態を長年診てくれている病院にて、慎重に度数を決める必要はありますが。

 

すでに再手術をされた方は不安になるかもしれませんが、上記の内容は、あくまで40代で眼の調節機能障害がかなり顕著な、"私" という個人に対する内容です。なので、ひとつの実例として聞き流してくださいね。現に、再手術で良くなった方もいます...ただ、どの方も年齢が若い方だったので、30代後半以降の老眼年齢の方は再手術にかなり慎重になった方が良いかもしれません。

 

なーんて書いていたら「レーシック難民を救う会」の立ち上げメンバーの、レンコンさんも同じ内容を書いていたので、ここでご紹介:

レーシックの再手術はデンジャラス

http://lasikganni.hatenablog.com/entry/2014/07/06/073853

※ちなみに、レンコンさんなど、会の立ち上げメンバーのおかげで私も救っていただくことができました。

 

...やっと新居にも慣れ、新しく購入したパソコン机と椅子とベッドが届きました。今まで、何一つ家具が無く、すべての生活を床で行っていたので、なんと文明に近くなったことか!ただ、テレビ回線になぜか接続できないので、chromecastを買ってしまいました...ゆっくり時間をかけてお気に入りの海外ドラマを、たまに観ています。もちろん、部屋は真っ暗、そもそも照明を買っていない状態で生活できてしまっている...はぁ。

それから、いろいろ応援コメントをくださった皆様、本当にありがとうございました。個別にお礼がかけなくて大変申し訳ありませんが、お陰様で、新たな人生のスタートを切ることができたように思います。感謝。

 

いつか失明するかもしれないと思いながら生きる事、の代償 @ Level 6.0

家賃も光熱費も毎月きっちり払っているはずの自宅から避難せざるを得ない窮地に追い込まれ、東京のアンダーグラウンドをさまよって、2週間。テレビもインターネットも冷蔵庫も無く、共同風呂・洗面所の片隅でユニクロのシャツを洗い、暖かいものも食べられず、ひたすらコンビニ飯とぬるいビールや冷えてない麦茶を飲み、夜は多分この安宿に住んでいるであろう隣の部屋の労働者の、悲しい歌をつまみに瞑想。

ひどい風邪もひかず、毎日ちゃんと会社には通勤出来て (洋服は本当に困ったし、靴は毎日同じだったけど)、健康に過ごせたことには感謝するばかり。

そんななかで、やっと新居の契約が済み、家具も何もかもほとんど持たず、夜逃げ同然での引っ越し。全く知らない新しい街で、新しい生活が始まりました。せっかくの新居ですが、家具が無いため、床で生活し、床でご飯を食べている状態です。とにかく椅子が無いので腰が痛いけれど、精神的には少し落ち着きました。

今後、超えていかないとならない課題はたくさんあるのですが、最初のハードルは超えたような気がします。

...しかし、仕事は待ってくれない。身体も心も限界ぎりぎりの状態なのですが、またまた地球の裏側へ出張です。今回は、そもそも体力も精神力もすべてを使い果たした状態での長距離出張だったので、初っ端から嫌な予感はしていました。

出張先へ向かう飛行機の中で、それは起こりました。とにかく眼から涙がぼろぼろぼろぼろこぼれてくるのです。泣いている訳ではなく、物理的に涙が流れて止まらない。おかしいなぁ、と思いつつ、目薬をさしながらテッシュで涙をぬぐっていたのですが、だんだん眼の表面・眼の奥の痛みが我慢できない位にひどくなり、眼を閉じても痛くて、痛いという言葉さえ無意味に感じるほどの戦慄で、これはまずい!と恐怖を感じても、ここは上空、空の上。

真剣に、「失明するかもしれない」という恐怖を感じましたが、ここはレーシック難民。ただ、ひたすら耐える。本当は泣きたいのにずっと我慢していたから、眼が勝手に泣いてくれているんだ、とか適当なことを考えても、あまりに痛くて「飛行機から降ろしてくれ!」と泣き叫びたくなる、けど、すでに眼からは涙があふれているし、痛みと恐怖で言葉さえ出ない。

なぜだ?生きるために歯を食いしばり、顎までおかしくして、それでも自分の面倒は自分でみようと生活のすべての犠牲にして仕事を頑張っているのに、たった一回の、それもほとんどの人が成功している手術で、私はなんでこんなにひどい後遺症が出ているんだ?いったい、この痛みは何なんだ?原因が分からないって、それなのにレーシックが今も行われているって、おかしくないか? 私の人生を返してほしい、出張を楽にするためにレーシックをしたのに、出張が出来ない身体になった...そして今、飛行機から飛び降りたいと思っている。眼が、あまりに、痛いから。

 

私はいつか、痛みで狂うか、痛みで失明するかもしれない。

私はいつか、痛みで狂うか、痛みで失明して、仕事を失うかもしれない。

私はいつか、痛みで狂うか、痛みで失明して、仕事を失って、ホームレスになるかもしれない。

私はいつか、痛みで狂うか、痛みで失明して、仕事を失って、ホームレスになって、もう自殺するしか方法がなくなるかもしれない。

たった一度の間違いを犯したから。間違いはレーシックをしたこと、安心安全であるはずのレーシック手術を受けてしまったこと。

 

目的地に着き、あまりの眼の痛みで正常な判断もできず、タクシーにぼったくられ、痛みで真っ直ぐに歩くのもやっとの状態。しかし、ホテルに着いてひたすら寝たら、痛みは若干楽になりました。しかし鏡をみたら、右目が腫れあがって、真っ赤な状態ではないですか!周りから心配されるほどに右目が腫れあがったまんま、とりあえず仕事を進めるしかない。だって、この国の言葉で「えーっと、レーシック失敗して、で、機内で涙が突然止まらなくなって眼に激痛が走り」とか説明できないうえに、もう説明する気力もゼロ。ゲームオーバー。

日本から遠く離れた異国の街。ああこの眼さえ痛くなかったら、きっとこの街は本当に美しいのだろうな。いろんな通りを散策しながら、夜遅くまで沈まない太陽をめいっぱい楽しむことができたのだろうな。ちょっと無理して、隣の区域の観光地まで行けたのにな。

...でもね、どん底までたどりついて、ほぼすべてを無くした人間は強いものです。限界まで生き抜いてみます、限界までいろんな世界を旅してみせます、限界まで仕事をします、失明して失職したらそれこそハンガーストライキでもしましょう。ここで泣き寝入りしては、今までの苦労と眼痛がアホみたいなものですから。

...なーんて、美しい街のあまり美しくないビジネスホテルからアップデートしてみました。ビジネスホテルのレストランは、現在ストライキ中で「正義のために立ち上がれ!(Stand up for the right)」と、ご丁寧に英語で張り紙が出されていました。さすが、革命の国。少しは見習わないとなぁ、この強さ。

顎が突然開かなくなったその後と、放浪生活 @ Level 4.8

ほぼ半年前辺りから巻き込まれていた面倒事がさらにやっかいになってしまい、現在、都内をプチ放浪 ? するという事態に陥っています。

これからしばらく、インターネットに接続できない状態が続きますので、更新が不定期になります。その為、いただいたコメントにも、全然回答できず本当に申し訳ありません。ただ、ちゃんと元気をいただいています!ありがとうございます。

巻き込まれた面倒事は、レーシックと直接的な関連性はありません。

ただレーシック被害の後、私自身の生活が一変し、生活や仕事のスタイル、人生の方針、お金の使い方も大幅に変更しないといけなくなったため、その副作用という形で周りの人間関係に大きなヒビが入ってしまいました。そのため、このような大きなトラブルに発展した可能性も否めないなと思います...。

逆に言うと「健康でずっと働けるという前提で築き上げたものをいったんゼロに戻し、レーシック後の体調・眼調不良と不安を抱えた身体を前提に、今の自分に適した新たな人生と人間関係を再構築できる」とても良い機会になったともいえます。

今、この巻き込まれたトラブルの詳細を書くことはできませんが、レーシック被害を抱えた人以外にも役に立つ内容が含まれていると思いますので、落ち着いたら別コーナーでちょっぴり公開してみたいとも思っています。

 

さて肝心の顎ですが、口腔外科のある大きな病院へ行き、正式に「顎関節症」という診断を受けました。週に2日、レーザー治療とマッサージをするだけで、他に目立った治療は行っていません。発症してから1ヵ月以上たった今、肉やフランスパンなどの固いもの以外の食べ物は、何とか食べられるようになりました。ただ、痛みはまだ続いています。

口腔外科の先生曰く、眼精疲労やパソコン作業などで眼を酷使すると、眼からつながる顎の筋肉に負荷がかかり、顎関節症になるというのは良くあることだそうです。なので、レーシックで合わない視力になり、眼精疲労がひどくなり、その眼精疲労によって顎に症状が出るというのは考えられない事ではないそうです。もちろん、レーシック手術が成功し身体にあった視力になった人の場合は、眼精疲労もそれほど起こらないので、顎関節症の心配もありません。

 

...折角少しはまともなものが食べられるようになったのですが、冷蔵庫も電子レンジも無く、風呂も共同な安宿に避難しているせいで(涙、麺以外のまともな食事にありつけていないのが悲しいところ。

あと数日で、もう少しまともな所に移動できる手筈が整っているので、しばらく東京のアンダーグラウンドで放浪を続けます。

顎が突然開かなくなった (顎関節症?) @ Level 4.7

ある朝目覚めたら、口が全く開かなくなってしまいました。
まだ病院へ行っていないので病名は分かりませんが、顎関節症とかそういうのだと思います。顎が一時的に外れた?可能性もありますが...ただ1週間以上たっても良くならないので、とりあえず早急に病院へは行こうと思います。
レーシック後遺症と、顎関節症などを含めた顔や顎の痛みの関係性は、まだ医学的には解明されていません(解明しようというお医者様も居ないというのが実情)。ただ、「レーシック難民を救う会」に所属されているレーシック被害者の方でも、レーシック後に顎の痛みや噛み合わせの不調、顎や顔全体の痛みを訴える方が確かにいます。有名なレーシック難民の染井氏バッジョ氏くろちゃんさんも (マッサージ方法勉強になりました!) 明らかに顎や顔面の痛みを訴えているので、全く関連性がゼロとはいえないような気もしています。

 

■ 発症当日

朝起きたら、明らかに口が開かない。ほんの少し口を開いただけで、左の顎(耳の下辺り)に激痛発生。出勤前に歯を磨こうとして、驚愕の事実!歯ブラシが入らない!1cmも口が開かない!無理やり開こうとすると、左顎にかなりの痛みが発生し、顔の左側に激痛...。口を開こうとしなければ痛みもなく、平静を装っていられる。顎が動かなくても(発音はおかしいが)話はできるので仕事は何とかできる。
非常に困ったのが食事。とにかく、口が開かないのでストローで注入。飲むヨーグルト、野菜ジュースで1日しのぐ。おかゆなどを食べたくても、スプーンが口に入らない。カステラなどを買っても、カステラをちぎって潰して、平たい状態にしないと口に入らない。一切ものを噛むことができない。
産まれて初めての経験だったので、とにかく数日間は「唖然としたまま」、自分の身体に何が発生したのかを理解することもできず、ぽかーんとしている状態。
口がほとんど開かず、開こうとすると左顎に激痛がはしる以外は至って元気なので、本当に「何が起きたんだ???」と唖然としたまま、仕事の忙しさにかまけて数日が過ぎてしまう。

 

■ 3日目
顎が開かないことに段々慣れてくる。
赤ちゃん用の歯ブラシを買って、それを押し込みながら歯磨きとマウスウォッシュ、最後に歯間ブラシ。食べ物は、細かく砕いた豆腐、相変わらず飲むヨーグルトや野菜ジュース、そしてチキンラーメン
チキンラーメンを器に入れ、たくさんお湯を注いで10分以上置くとふやけて柔らかくなる。それを先のとがった箸で、5本ずつ口に押し込み咀嚼。チキンラーメンを1杯食べるのに1時間以上かかる。
ネットで病院などを探すが、「顎関節症の治療で歯を削った後にますます症状がひどくなった」「歯型のプレートなどを入れた後、ますます顎がおかしくなった」などの記述をみて鬱。なんだか、レーシック後の後遺症治療と同じ雰囲気を感じて病院へ行く気が失せる。どうもこちらの症状も、病院選びが重要な気がしてくる。

 

■ 5日目
顎が1cm位は開くようになってきたが、相変わらず痛みが強くて咀嚼ができない。どうしても仕事で外せない接待があり、「何事もなかったかのように」ふるまおうとしたが、最初の1分で挫折。前菜の中に入っていた野菜を噛んだとたんに左顔面に激痛が走る。あきらめて、赤ちゃん用スプーンと、てんこもりの卵豆腐と茶わん蒸し(具無し)を用意してもらい、それでしのぐ。
左顔面をかばうように生活しているせいか、首や肩、背中などにもかなり強い痛みが出てきて、仕事をしているのも苦痛。そろそろ諦めて薬を飲むか、病院へ行かないとなぁと降参モード。

 

■ 8日目
1.5cm位は顎が開くようになってきたが、相変わらず咀嚼ができない。液体食をして1週間以上たったせいか、体重もかなり減ってしまった...。無理やり固いもの(といっても普通の固さの冷やし中華の麺程度の固さ)を食べると、食べた後の数時間、かなり左顔面が痛むので、段々、ものを噛むことに恐怖を感じ始めてくる。

長引きそうなので、モールの介護センターへ出向き、介護用のスープ食を買ってくる。ジュース系の飲み物と炭水化物しか食べていなかったので、ひたすら介護食が美味に思える...。
相変わらず、左半身が痛い、顔面・首・肩・背中が張っていて痛みで寝るのも辛い。諦めて病院へ行ってこようと思っている。

 ↑今ここ

 

レーシック、怖すぎる...首から上が壊れていく。
どこまで頑張ればいいのだ?

どこまで痛みに耐えればいいのだ?

上記の顎や左顔面、左上半身の痛みに耐えながら、同時に並行で、眼の痛みにも耐えているわけです。何だか、電車に突発的に飛び込む人の気持ちが分かる日々です。

単なるストレスかもしれませんが、レーシック後遺症自体がもうストレス以外の何物でもありません。

f:id:Kuroneko773:20140518230850j:plain

フィレステーキが食べたい。野菜炒めが食べたい。焼き鳥が食べたい。タイカレーが食べたい。お寿司が食べたい。サラダが食べたい。おにぎりが食べたい。サンドイッチが食べたい。焼き魚が食べたい。チョコレートが食べたい。お腹減ったよ...外食が一切できないよ。

 

山は登るよりも降りる方がつらいんだな @ Level 3.8

とにかく、このゴールデンウィークは自分の歴史に残る、つらい数日だったような気がする。多分、一生この数日の事は思い出したくない。

東京中をぐるぐる徒歩で歩いて、次に住めそうな場所を探した。変な不動産屋にも出くわしたし、休み中だというのに数分で次々と内覧の予約を入れてくれるやり手の営業さんにも出会った。...落ち着いたら、この不動産探しの事についてもブログで書いてみようと思うけど。とにかく、毎日毎日サングラスをして、薬は飲まずに!、ただひたすら歩き回っていたような気がする。

精神的・肉体的なつらさの限界がきて、何度も記憶が飛び飛びになっている。川沿いのベンチにぼんやり座り込みながら、気が付いたら夜になっていて、泣いていたことも何度もある。眼が痛い、住むところが無い、いろいろやばい!はぁ。

でも、自分が動かなければならない。自分が動かなければ、安らげる場所も仕事も、なによりも大切な健康も、指の隙間からどんどんと零れ落ちてゆく。

眼が締め付けられるように痛い。コンタクトレンズが一番楽だけど、5時間程度の装着が限界だ。コンタクトを外すと、そのあとに拷問のような眼の表面の痛みと、眼を開けていられない眼の奥の痛みが押し寄せてくる。コンタクト装着後の痛みが一体何なのか、全く分からない。

日によって、プリズム遠近眼鏡が全然合わない日もあるし、裸眼の方が楽な時間帯もあるし、プリズムの入っていない老眼鏡の方が楽な日もあるし、なにをどうしようと痛くて痛くて世をはかなむ日もあるし。自分の眼だけが、身体から分離して暴走している。何も楽しめないし、あれほど元気だった身体すら動かないし、とうとうメンタル的にもう限界が来たのかと思ってしまう。

...いったん離脱するしかない。この戦いから。いったん登った山を下りて、自分の生活を建て直し、また挑戦する機会をうかがうしかない。いろんな意味で、人生の再出発。

おかげさまで、次に住むところが見つかりそうだ。感謝!

それに、毎日毎日飽きずに不動産のサイトを観ていたら、何とブログ更新の際に、レーシックの広告が出なくなったよ、不動産の広告が表示されているよ。良かった。引っ越し先が決まった後も、どんどん不動産のサイトをクリックすることにしよう。

夜明け前の暗闇で @ Level 4.5

引っ越しをしなければならない。

面倒なこと (英語で言うと Challenges !!) が重なり、やらなくてはならない事、自分で決められない事、自分で決められる事、が網の目のように絡まって、ただ分かっていることはここから数か月以内に出ていかなければならないという事だ。

私にとって今、何よりも大切なのは収入源の死守と健康の維持、そして眼の痛みが激痛にエスカレートしない環境を、せめて自宅では確保する事。それ以外の事に時間を割いたり、エネルギーを注ぐ余裕が全くない。本当に、全くない。

夜、仕事から帰宅したら、料理も作るし、中国茶を淹れるし、お酒も飲むし、スーツにアイロンもかけるし、洗濯もするし、筋トレもするし、掃除もするし、お風呂でゆっくり歌も歌うし、音楽をずっとかけているし、眼の調子が良ければ録画したドラマや映画も観る。ただ、私のこれらの生活は、すべて暗闇の中で行われている。真っ暗な暗闇のなかで。真っ暗ななかで、私の毎日はひとつひとつ進んでいる。電気、特に蛍光灯の白い色は、仕事で疲れた眼にとっては拷問だ。

...レーシック被害にあって、私は人と生活をともにすることが出来ない身体になってしまった。他人と空間を共有することを前提として選んだ、今の家では、もう生活の維持ができなくなってきてしまった。レーシック前に培った、ここでのプライベートな人間関係も、今では単に崩壊してしまっている。

...何という事だろう。きっとかなり昔からこの日が来ることは分かっていたのに、自分はずっと眼をそらし続けてしまった。

まず、独りで立ち上がるのだよ、独りでしか生きられないんだよ。

暗闇の中でしか生きられない、それが事実なんだ。

 

東京は広い。

広いのに選択肢が無い。

同じようなお部屋たち、同じような間取り、緑も青空も無い空間と、同じようなコンビニ、どこまでも続く灰色のビル。職場まではとてつもなく時間がかかり、収容所のような通勤がもれなくついてくる。

ターミナル駅のコンコースで、いろんな所へ発車してゆく電車の電光掲示板を見ながら、本当にくらくらと眩暈で倒れそうになってしまった。

ここからどこへ行くのか?どこで暮らすのか?どうやって探せばいいんだろう?どうやって決めればいいんだろう?

五反田?錦糸町?目黒?渋谷?池袋?吉祥寺?幕張?熱海?鎌倉?本八幡

海があるといいな、海もいいけど緑が欲しい。

 

この苦しみは、夜明け前。この暗闇の先に、今まで見たことも無い、素晴らしい朝日が昇ることを信じて。

 


Coldplay - Midnight - YouTube

Landing is Launching @ Level 5.0

飛行機を乗り継いでも乗り継いでも、繰り返し朝が追いかけてくる。飛行機から見下ろす地球は丸くて、地平線を彩る群青色の闇に淡い赤やオレンジの光が射し込み、虹色のグラデーションを描く。このままフライトが、永遠に続けばよいと思う瞬間。飛行機から観る日の出。

 

飛行機のなかで「Gravity (邦題 : ゼロ・グラビティ)」という映画を観た。そのせいもあってか、何だか宇宙に始まり宇宙に終わる旅だった (といっても何が何だか分からないだろうけど)。宇宙に近い上空から地球を眺めていると、資本主義やら金銭至上主義やら、人間が造り出した非人間的なシステムに半ば翻弄され、受ける必要も無い手術を受け、そして痛みにもだえている自分が少し間抜けに思える。

 

飛行機のなかでみたその映画の中で、とても印象的なフレーズがあった。映画の主人公が宇宙に取り残され、地球への帰還をなかば諦めた時、幻のなかにて、亡くなった同僚が助けてくれる場面でのアドバイスだ。

 

"Well...Landing is Launching"

日本語に訳すと、「(ロケットを) 着陸させることは発射させることだ」という意味になると思う。別の解釈に言いかえると、「地に足をつけるということは、行動するのと同じことだ」。

 

レーシック後遺症被害の問題も、それにまつわる利権の争いも、全然終わっちゃいない。レーシックで後遺症を背負った (自分を含めた) 人々が、それぞれ何とか治療方法を見つけていくまで、地に足をつけて、ほんの少しでも行動するしかないのだと思う。「諦めてはならないという意地」が私と地上とを結びつけている命綱なのかもしれない。

 

f:id:Kuroneko773:20140409161832j:plain