記録の力 @Level 3.0
砂を噛むような、デッドエンドの、前に大きな壁が立ちふさがっている、永遠に通勤電車に揺られているような、袋小路に迷い込んだ、倒しても倒しても敵が出てくるトンネルのような、ある日の朝に目覚めなければ本当は幸せなのかもしれない、そんな出口のない冬が続いていた。
治療はどん突き。
砂を噛むような、という形容詞がぴったりの日々。
個人的な話をしよう。
私の祖父母の話だ。
数年前に祖母が他界し、その後、祖父も100歳近くで他界した。
祖父母が亡くなった後、彼らが暮らした田舎の家を壊し、新しくマンションを建てることになった。彼らがゼロから築き上げた土地と家を、ただ壊すのはしのびないということで、祖父母が遺した品が子孫に形見分けされた。
広い田舎の家には...
その土地が、原爆で焼きつくされたその瞬間からの、すべての歴史が遺されていた。
孫にあたる私のところにも、大きな段ボールが数箱届けられた。祖父母の日記、祖父母が読んだ本、父が祖父母にあてた手紙、父の幼稚園時代の通信簿、父の絵、私が祖父母にあてた手紙、亡き母が祖父母にあてた手紙、父と母の写真、私の卒業証書と写真、永遠と続く亡き人々や忘れられた歴史。大量の資料。
まさか、これらの記録が私を助けるとは思いもしなかった。
痛みで辛い夜に、彼らの日記を1ページだけ読む。
そこには大きな字で「辛抱」と書いてある。「ただ焼け野原を歩いて、兄や姉の家を訪ねましたが、ただ土と灰でした。姉が病院に入院しておりました。しかし全身に黒い斑点が出て焼けただれ咽喉ははれあがって声は出ませんでした。姉は息絶えました。」
...私の祖父母は被爆者だ。
私は18歳のとき、彼らからすると「敵国」にあたる国へ移住した。そして、人生の大切な時期をすべてその国で過ごした。異国へと旅立つ私を見送った祖父母の複雑な心境や、その後の家族の歴史が、彼らの日記に、時には激しく、時には間接的に刻まれている。若かった私は、全く知らなかった。彼らがそんな葛藤のなか、私を送り出してくれたこと。あの笑顔の裏にあったもの。
...知らなかった、祖父母から、両親から、愛されて愛されまくっていたこと。
その記録は、砂を噛む明日を投げ出したくなった時、私の心の支えになってくれた。
私を愛してくれた人たちがいた事。いる事。
遺された記録。
ーー 私は今、集団訴訟という裁判のプロセスのなかに居る。
そこで毎回突き当たる壁が「記録」「過去の証拠」の重要性だ。18歳から移動を重ねる生活を続け、社会人になってからは、移動そのものが仕事になってしまった私だ。過去の記録を丁寧に遺すことを一切しなかった。移動のたびに過去のデータはすべて廃棄していた。
自分の過去を一切残さない生活を、COOLだと思っていた。
スーツケースひとつでどこへでも旅立てる生活、それが私なんだと思っていた。
今はそれを、ほんの少し後悔している。
記録は力、記録は証拠なんだと。
どうでもいい記録が、70年後に、誰かの明日を紡ぐことがあるかもしれないということを。
私は知らなかった。今まで。