くろねこの涙

レーシック難民になってからの記録

記者会見の後に @ Level 4.8

記者会見が終わり、怒涛のような1週間が過ぎ去ろうとしています。
おかげさまで、Yahoo! Japanや産経ニュースなどのニュースサイトなどでも取り上げていただきました。レーシックで重篤な後遺症が発生する可能性があること、一部のクリニックのインフォームドコンセント(手術に対するメリット・デメリットの説明)の内容に問題がある可能性があること、そして実際に「レーシック難民」と呼ばれる人が都市伝説などではなく実際に存在すること、が少しはリアリティーをもって訴求できたのかなぁと思ったりします。
 
【レーシック手術に関する厚生労働省および消費者庁への申し入れに関する記者会見】 - YouTube
※真ん中のショートヘアのおばさんが、レーシックの後遺症に苦しむくろねこです。
 
記者会見には、多くの記者の方や、この問題に興味を持っていただいた方に参加いただき、本当に感謝しています。会見の際に名刺交換を行い、「くろねこ」こと「吉岡」のプライベートな携帯電話番号を交換させていただいたのですが...実は会見のあとすぐ、仕事で長期海外出張に出かけてしまいました。よく考えたら、ご連絡した私用携帯電話も、私と一緒に果てしなく遠い国に来てしまいましたので、日本から連絡をいただいても圏外になってしまいます。そのため、大変申し訳ありませんが、「レーシック難民を救う会」へのご連絡や、取材の申し込みなどは、会のメールアドレスにいただけると助かります。

レーシック難民を救う会(レーシック被害者の会)
lasikmutual@gmail.com

...遠い国、ひたすら北極圏に近い国に今、滞在しています。数週間前まで夏だったのが嘘のよう。蝉しぐれをかきわけて議員会館に通ったり、夜の公園のベンチでどこかの誰かが花火をしているのを眺めたり、少し秋を感じながらベランダでお月見したり、記者会見の準備で片目に眼帯しながらパソコンに張り付いていたのが、まるで遠い昔みたい。今にも雪が降り出しそうな、冬に向かう曇った太陽のしたに居ると、なおさら今年の夏が、本当に凝縮されたかけがえのない時間だった事を思い知らされます。
 
どんなに地球の果てまで来ようとも、逃げ回り走り続けようとも、今のところ私の眼は痛いし見えづらいままです。こんなに遠い国まで来ても、眼が爆発するんじゃないかという痛みが襲ってきます。世界中の病院をまわっても、私の年収と年齢では、この眼はもう元に戻らないかもしれません。でも、10年前にこの被害に遭っていたら、私は多分、泣き寝入りしていたんだと思います。ああ、なんて私の人生はついていないんだろう、って、薬を大量に飲んで心や体の痛みをなかったことにして、泣き寝入りしてたと思います。
 
レーシックを受けた病院に対して、眼の激しい痛みや見え方の問題を訴えたときに言われた言葉を今でも覚えています。「あなたは特殊な体質なんです、手術を受けたほかの人でそんな激しい痛みを訴える人は居ません。そして、見え方の問題は年齢のせいです。」私は、術後1年ほど、その言葉を信じてしまいました。
 
今回、私が少なくとも小さな行動を起こせたのは、レーシックの後遺症が年齢に関わらず多くの人に発生していて、多くの人の人生が崩壊させられているという事実でした。そして、私よりももっと若い、これからキャリアを重ねたり結婚したり子育てするそんな世代が、レーシックで人生を狂わされ、絶望を大きく背負い込んでいるという現実。
 
私ひとりじゃない!同じ症状で苦しんでいる人が、こんなに居る!年齢のせいでもない!特殊体質なんかじゃない!何かがおかしい!私一人が助かったと仮定したとして、それで本当に幸せ?私ひとりで後遺症と闘えた?みんなで救われる道を探さないと!
 
今の日本では、被害者団体や被害者支援活動など、社会的・経済的に弱い立場の人を助けようとする活動は、あまり評価されませんし、お金にもならないし、履歴書にも書けないし、下手すると活動に参加しているという事実がネガティブな方向に働く場合もあります。私も実際、自分自身がこんな被害者になるまで、ボランティアだの被害者活動なんて、全く興味がありませんでした。むしろ、毛嫌いしていた部分もありました...こういうのって、お金を持っていて生活に余裕のある人が行うものなんだろうって。
 
でも、本当は違いました。切羽づまった人達が、やらざるを得ない状況に追い込まれたからこそ、仲間をつのり、チームが形になったからこそ行えるものなんだろうなって。待っているだけでは、打開できないから、自分たちで壁を壊しに行くものなんだろうなって。
 
北の国で、ちょっと考えたくろねこでした。しかし寒いぜ....寒さが眼にしみる...