くろねこの涙

レーシック難民になってからの記録

レーシック後遺症で、人間関係も変わりました @ Level 4.5

何だか段々と、手元が見えなくなってきていて本当に凹みます。

例えば、仕事などで運転をするときは、ほぼ裸眼の状態に近い遠用プリズム眼鏡で運転をします。遠くは本当に良く見えるので、カーナビに頼らずにかなり前から右折の用意をすることができます。ただし、カーナビの画面はほとんど見えません。眼鏡をかけていても、もう焦点をカーナビの画面に合わさることすらできないのです。

「それが老眼だよ」と言われればそうなのかもしれませんが、メガネをかけていたとしても、手元のラーメンや、テーブルの上のご飯や、本や、商品明細や、レシートや、靴のサイズや、洋服の前後ろや、そんなものに焦点が合わなくなってきて絶望的な気分になります。そんな症状悪化をうけて、遠視の度を強くした眼鏡を作成中。それが届いてこの症状が緩和されることを、ただひたすら祈ります。

...このレーシック難民(レーシック被害者)というやつになって、私は身体だけではなく、周りの人間関係までズタズタになってしまったように思います。

「その後遺症って、気のもちようなんじゃないの?レーシックで見えなくなるとか、痛みが発生するとかなんて聞いたことないよ。」

「後遺症で夜に車が運転できないなんて、ありえない。何で頑張って治療をしないの?気のせいなんじゃない?」

「後遺症はそもそも自己責任じゃない。そんな後遺症が出ることは分かって手術受けたんでしょう?」

「病気でもないのにそんな手術を受けたんだから、それって自己責任だよね?黙って我慢して受け入れるべきだよ。」

そのような言葉が、どんなに我慢して笑顔でやり過ごそうとしても、矢のように突き刺さります。悔しくて涙が出て、ああ、こういうときに人は暴走しちゃうのかもな、生身の人をビンタしたり、ボコボコにしたくなっちゃうんだろうなぁとか思います。それなら、私は身体は独りでも、遠く離れていても私の事を理解している人と心でつながっている方が幸せだなぁ、もうこの人とは会いたくないなぁ、と。

当人には全く悪意が無かったとは思うのですが、私の方は勝手に傷ついてしまい、それらの言葉を受けた後、残念ながらその人と疎遠になってしまったことが、たくさんありました。

逆に言うと、レーシックの後遺症によって「本当に私のことを大切に思っていてくれて、私がすべてを無くしても寄り添ってくれる友達」と、「そうじゃない人」がはっきり選別できたのかもしれません。ただ、現実は残酷で「そうじゃない人」が意外と多かったりする......悲しいけれど真実。本当に昔からの友人たちが、ずっと心に寄り添ってくれているのも真実。