私は中学から眼が悪くなり、牛乳瓶眼鏡との生活を余儀なくされました。家族がコンタクトを使用していたこともあり、大学からはハードコンタクトをつけはじめました。当時、ハードコンタクトはとても高価で、また装着感もかなりごわごわしていたのを覚えています。
大学後半になるとソフトコンタクトに代えて、それからはずっとソフトコンタクトを眼鏡を併用する生活でした。
2009年ごろから、私の同僚も次々とレーシックを受け始めました。会社でレーシックがはやり、クーポン券をまわしながら、次から次へと手術をしていたのです。皆結果に満足していて、数年後に近視の戻りを訴える人は居ましたが、ほぼ後遺症とは無縁でした。
私がレーシックを決意した直接のきっかけは、家族からの紹介です。
家族の知り合いが某クリニックで手術を受けたところ
「世界がかわった!もっと早くやるべきだった!」
と感激していたこともあり、彼女からもらったクーポン券を持って同じクリニックに出かけました。
他にもこんな理由がありました。
長期入院が楽になる!?
私は入院の経験があります。頭部や耳の部分に装置やチューブを付ける必要があったので、眼鏡が使用できません。数日間、集中治療室で何も見えない状態。眼さえ良ければ、自分の周りで何が起こっているのかはわかるのに…と不安な日々を過ごしました。
レーシックをすれば、この先歳をとって身体を壊しても心強いと思いました。
出張が楽になる!?
私は、海外・国内ともに出張が多い仕事をしています。1か月などの長期滞在もあります。1カ月分以上のコンタクトレンズと、機内用の眼鏡と、現地で車を運転する時に眼鏡と、眼鏡の換えと、コンタクトの洗浄液と…と荷物が多くなりがちでした。
レーシックをすれば、このわずらわしさから解放されると思いました。
しかしレーシック後に待っていたのは、スーツケースの4分の1を占める大量の目薬と、数々の眼鏡やサングラスです。
角膜細胞によい!?
定期的な眼の検査で「コンタクトを使用し続けていると、角膜の細胞が減って年をとったときに眼が見えなくなっちゃうよ」みたいな事を言われました。
レーシックをすれば、裸眼になるので眼に良いのだろうと思いました。
しかしレーシック後に待っていたのは、耐えがたい眼の表面の痛みでした。
災害で生き延びられる!?
私の友人は阪神淡路大震災の被害者です。近視がひどかった彼女は、地震で眼鏡が箪笥の下敷きになり、救助に来た家族の顔も救援物資も、避難場所のトイレの場所も見えずに、ひどい経験をしたと言っていました。
レーシックをすれば、災害が来ても困らないのではないかと思いました。しかしレーシック後に待っていたのは、災害以前に日常生活に支障がでる状況でした。
ただしここに書かれているのは、たまたま後遺症が出てしまった私の見解で書かれているので、レーシックを行って、本当に上記すべての悩みが解決された人も居ると思います。
うらやましいです…