くろねこの涙

レーシック難民になってからの記録

ありがとうございます @ Level 4.2

眼の痛みのなか、
うにょうにょしながら
自分のブログを開けたら、

ものすごくアクセス数が増えている!

レーシック難民が使用してる目薬とサングラスの量が尋常じゃない
http://www.kajisoku.org/archives/51821173.html

にて紹介いただいたようで、
どなたが紹介してくださったのか分かりませんが、
本当にありがとうございます。


唐突ですが、
私の祖父母は被爆者です。

ビカドンに遭い、
地獄絵を背負い、
家族や兄弟を白血病で亡くし、
焼け野原となった街を開拓しました。

幼い私がいろいろ質問をしても、
祖父母はピカドンの話をほとんどしてくれませんでした。

祖父母は
長い人生の中で数回病気になりましたが、
原爆手帳を手に街の総合病院に安く入院しては、
元気に自宅に戻ってきて、
市から家電やら表彰状をもらったりしました。

祖父母の事を思い出すと、
原発の事を考えます。

なぜ被爆者の健康追跡データが、
東北の被曝地や医療関係者に、
共有されていないんだろう?と。

もちろん「被爆」と「被曝」では、
その後の健康被害に大きな隔たりがあり、
比較が容易でないのは当たり前ですが、
全く情報が共有されず、言及さえされないのは
なぜなのでしょうか。

被爆者健康手帳 (原爆手帳)を持っている人の、
追跡健康データはどこへ行ったのでしょうか。

びっくりする位に長生きした私の祖父母と、
被爆後10年以内に白血病で亡くなった、
祖父母の兄弟姉妹親戚との違いは
何だったのでしょうか?

全く同じ場所、
同じ時刻に被爆して、
その後の白血病発症有無の分かれ道は、
一体なにが司っていたのでしょうか?


そして東北で震災に遭われた方の、
追跡健康データも、
闇に葬られるのでしょうか。

大変失礼で
比較できる話では到底ありませんが、
被爆と被曝の事を考えると、
レーシックの事も考えてしまいます。


私達のように、
後遺症を発症してしまった
レーシック難民のデータを、
次の世代に確実に受け渡す手段は無いのでしょうか?

私の眼の激痛。


なぜ「私」
という個体にだけ発生し、
ほぼ同じ年齢、
ほぼ同じ近眼度数の
「兄弟姉妹」には
発生しなかったんでしょうか?