くろねこの涙

レーシック難民になってからの記録

たった一度の過ち @ Level 3

一度の選択や気の迷いで、
その後の人生の軌道が、
考えられない角度で
狂ってしまったのは、

たぶんレーシック被害者だけではないと思います。


交通事故を起こしてしまった人。
困った人と関わりをもってしまった人。

インプラントや美容整形で
後遺症に苦しんでいる人。

ブラック企業に就職してしまったり、
逆に部下を亡くしてしまったり。

ほんのちょっと飲みすぎた勢いで、
とか、
ほんの少し魔がさして、
とか、
ほんの少し便利な生活を夢見たとか。


たった一瞬の選択肢で、
人生を狂わされたり、
狂わせてしまった人達に共通するのは、


レールから外れてしまった後、
いわゆる「社会」ってやつとの、
臍の緒みたいなものが、
ぷつんと切れてしまうことに
あるのかもしれません。


訴えても届かない。
助けての声がどこかでかき消される。
「自己責任」
という言葉が、
壁のように立ちはだかる。

立て直そうともがけばもがくほど、
どんどん泥沼に引きづり込まれる。
人との関係性が、
ぶちぶちと切り裂かれる。

証拠がない。


だって眼鏡でいいじゃない?
だって入れ歯でいいじゃない?
だって運転しなくていいじゃない?
だって転職すればよかっただけじゃない?

選んだのは、
そういう人生を選んだのは、
「あなたでしょ?」
という突き刺す誰かの言葉。

悪いのは自分。
選択したのは自分。
そういう状況を選んだのは自分。

頑張れば何とかできる、
明るく明日を夢見ればきっと這い上がれる、
前向きに努力すればなんとかなる、

…そんな社会との臍の緒、
をぷつり、ぶつり、ぶちり、ばちん、
と切り取ってしまうのが、

「自己責任」
という言葉かもしれません。

レーシックの被害者になって、
一番心の澱みたいに、
積み重なって私の中でドロドロして
社会とのつながりへの恐怖心を増長させてきたのが、
この言葉だと思います。


「自己責任」
この言葉は嫌いです。


生き物である限り、
独りのなかで完結して、
そこで終わるだけの
「選択」は無いと思います。

どんな選択であれ、
そこには絆が、つながりが、
あるはずです。


それが、
天国の誰かであったとしても、
部屋に残された植物であったとしても、
通りすがりの誰かであったとしても。