希望という名の絶望とともに @ Level 3.8
2015年、1日だけ、強烈に忘れられない日がある。
ちまたではスーパームーンと騒がれた、そう9月28日。手帳にはこう記してある
「サンピロでかなり楽になる。眼が楽だと夜の時間が有効に使える。健康な人ってこんなに楽なものなんだな...」
たまたま、医者から処方されたサンピロ2%を久しぶりに試した所、なぜかこの日は、劇的に効いた。レーシック前に戻ったかと錯覚するほど、眼の痛みがほとんど出なかった。嬉しかった。
嬉しすぎて嬉しすぎて、
仕事帰りにデパートによって、
靴を買ったり洋服を買ったりした。
痛みが無いことが、その幸せが凶器だった。
自宅に戻ってからは、溜まりにたまっていたプライベートな用事を済ませた。コンビニに行き、裁判に提出する「レーシック後遺症治療に使用した費用のレシート」を張り付けたノートを、ひたすらコピーする。1時間半、ひたすらノートをめくって、コピーした。
コンビニにたくさんの人がやってくる。いつもなら眼の痛みで、気にとめる余裕もない人達。カップルで手をつなぎながらアイスを選んだり、会社帰りに雑誌を立ち読みする男性。高いハイヒールを履いた女性が、一生懸命ヨーグルトの成分を見比べている。一瞬、強烈な「嫉妬」が湧き上がってきた。
...眼に痛みのない人は、毎日が、こんなに幸せなのか。多分、それぞれたくさんの痛みを抱えているかもしれないけれど、眼の痛みが無いという事は、こんなに幸せなのか、こんなにこんなに強烈に幸せなことなのか...
山のようにコピーを抱えて家路につき、空を見上げるとスーパームーンが東京の街を神秘的に照らす。知らなければ良かった。眼の痛みが無いという状態が、こんなに幸せだという事を、知らなければ良かった。知らないで居たなら、眼の痛みが無いであろう人に対して、こんなに「妬み」の気持ちを抱くことも無かっただろう。眼に痛みが無く、身体も元気でどこも痛くないのに「店員の対応が悪い」「やる気がでない」「あの人に嫌われた」「彼氏からメールが来ない」と悩んでいる人に、ほんまどーでもいいですよと心の中で毒づくこともなかっただろう。
その「たった1日だけ痛みがほとんど無い経験」をしたあと、一番信頼している主治医の先生から、とある遠くの病院の先生を紹介された。その先生はとても偉い先生で、もしかしたら私の痛みの原因を特定できるかもしれないと。
期待していないふりをしながら、本当は期待していたのかもしれない。
5年に1日だけであっても、調子の良い日があったのだから。
痛みの無い世界が忘れられない。
有給をとって、新幹線に乗り、前泊をして遠くの遠くの病院で診察をしてもらった。結局、診断結果は「私の眼の痛みの原因は分からない」というもの。右目のみ、レーシック後のフラップが少し炎症を起こしているということで、フルメトロン点眼液を山ほどもらってきた。たぶん、権威のある先生だったのだと思うが。私のデータが、いつかのちのレーシック後遺症治療の役にたつことを祈るばかりだ。
遠い場所から帰宅してしばらくして、何も手につかなくなった。
張りつめていた糸が切れたみたいに、身体が動かない。
痛みの無い世界が忘れられない。
希望のない世界が信じられない。
アルコール中毒だった人が断酒した後、
たった一口のアルコールを口にしたばかりに、
強烈にアルコールを渇望するかのように。
痛みの無い世界は、私にとってもはや麻薬だ。
私の眼は今、近視化している。
遠くも近くももう、はっきり見えない。
近視になれば痛みが治ると信じていた。
妬み、嫉妬、後悔、拒絶、怒り、不安、失明、恐怖、孤独、痛み。
どうしても人と比較してしまう自分の弱さ。
明るい場所が眩しすぎて
眼だけではなく
心までも
いじけてしまう自分の弱さ
その私の弱さに折り合いをつけるのが、2016年の目標だ。
2016年が、すべての人にとって素敵な年になりますように。
遠くの病院で検査した、私の数値。完全に近視化しているのに、痛みが緩和されないし、近くの見え方も悪いままなのが不思議なところ。
注意:
私の場合、サンピロは効果に変動があり、痛みが楽になる日と、逆に痛みが悪化して吐き気などが出る場合もあります。この目薬は効果に安定性が無く、現時点では、リスクを承知の上での頓服として使用しています。また、連用すると、白内障になるなど重篤な副作用があるので注意。下記を参照してください。