くろねこの涙

レーシック難民になってからの記録

交流会に参加いただき、ありがとうございました@ Level 4.0

9月19日に行われた、東京でのレーシック難民の交流会。

参加いただきました皆様、本当にありがとうございました。思った以上にたくさんの皆様に参加いただき...それも遠方から参加いただいた方も多数いらっしゃって、本当に感謝です。

言葉で上手く表現できないのですが、水が一滴もない砂漠で遭難したときに、上空からヘリコプターで救助隊が来てくれたみたいな、そんな気持ちでした。喉が乾いてカラカラで、渡された水をごくごく飲み干すような。

...今回、何度も話題にあがったのが、「趣味や楽しみを奪われたあとにどう生きていけばよいのだろうか」というトピックでした。ドライブが趣味だった、釣りが趣味だった、アウトドアが趣味だった、球技が趣味だった、旅行が趣味だった、集まりに参加するのが趣味だった、映画を観るのが趣味だった、アメリカのドラマをがっつり観るのが趣味だった、ゲームが趣味だった、プログラミングが趣味だった...

それら、今では過去形の "魂" を取り上げられた今、どうやって明日への活力を見い出せばよいのか。

 

こんな身体にはなってしまったけれど、だからこそ見つけられる "新しい魂" を手探りで見つけようというのが、次回への課題となりました。

 

...ドライブは難しくなったかもしれないけど、歩くことはできる。世界をいっぱい旅しよう、眼は痛いままかもしれないけれど変な視界だけど視力は何とかあるし味は感じられるし風の匂いも感じられるし人と話すことも出会うこともできる。球技はできないけれど、筋トレもジョギングもできる。音楽は何万曲でも聴ける。少しずつなら本も読めるし、少しずつなら映画も観られる。日本や世界のあちらこちらに、こうやって友達ができた。いっぱいいっぱい旅をしよう、出逢おう、人にも音楽にも映画にもドラマにも絵画にも彫刻にも文学にもスポーツにも自然にも価値観にも、それこそ、魂で触れ合えるものや人に。...

そんな元気をたくさんいただきました、本当にありがとうございました。

また、お会いしましょう!

9月19日の交流会、申し込みは9/15までとなっています

レーシック、老眼レーシック、眼内レンズなど、視力矯正手術後に何らかの後遺症や合併症が発症してしまった人の交流会を9月19日に東京、渋谷駅近郊で開催します。参加申し込みの締め切りは、一応9/15までです。下記の連絡先までご連絡ください。

kuroneko049@gmail.com

 

すでに参加申し込みをいただいた皆様、お会いできるのを心から楽しみにしています!

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■日時 :

平成28年9月19日 (月・祝日) 12:00~15:00頃


■場所 :

東京 JR渋谷駅近郊


■会費:

2,000円~3000円程度を予定しています。

 

■参加希望の方は、下記のメールアドレスまでご連絡ください。

kuroneko049@gmail.com

 

■参加申し込み期限

できれば、9/15までにはご連絡くださいね。

 

■ご注意

視力矯正手術後に何らかの後遺症・合併症を発症してしまった方を対象とした交流会です。新規参加の方の場合、会の方からメンバー登録や、関連の質問をさせていただくかもしれませんが、ご了承いただけると助かります。

 

最終的な開催場所については、お申し込みをいただいた方に、個別にご連絡させていただいておりますのでよろしくお願いします。

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...ちょうど、この9月でレーシック手術を受けてから丸6年。術後7年目へと突入。この6年間は私にとって、全く予測せず想像もできない人生の軌道に放り込まれ、全く新しい視点でこの現実を自分のなかで再構築した期間でした。

みんなの党三谷英弘先生や、医療問題弁護団の先生方のサポートを得ることができ、レーシックが100%安心安全ではない手術だということが、少しは日本国内に伝わりました。本当に「人」と「人のつながり」に救われた6年間です。

レーシック直後、目の表面の激痛と吐き気で初めてレーシック難民としてネットに助けを求めたのが、下記の書き込みです。

ドライアイで眼を開けていられません 【レーシック質問・相談掲示板】

始まりは、まさにこの時点でした。

 

書き込みをした当初、あまりに眼が痛くてハンドル名もまともに考えられず、愛猫が黒猫だったので、適当に「くろねこ」という名前で書き込みました。それが私の第二の名前になりました。可愛がっていた黒猫は数か月前に17歳で老衰で亡くなりました。彼女は天国へ旅立ちましたが、人生の一番つらい時期、傍で支えてくれた黒猫は私のなかで永遠に生き続けています。

 

今でも、レーシックを受けたことは、すさまじく後悔しています。ただ、レーシック難民になった後に出会えた人々、その人々との繋がりには、むしろ本当に感謝しています。

レーシック難民を救う会では、祝日 9月19日(月)に交流会を開催します

西日本では灼熱の日々が続き、北日本では台風が立て続けに来る、何か調子が狂う夏ですが、いかがお過ごしでしょうか?

私がボランティアスタッフとして参加している「レーシック難民を救う会」では、下記の日程で交流会を開催する予定です。レーシックおよび、老眼レーシック、眼内レンズなど、視力矯正手術後に何らかの後遺症や合併症が発症してしまった人が集まって、情報共有、そして「とにかく独りじゃない」っていう、つながりの場を提供できれば幸いです。

詳細は下記の通りです。東京での開催になってしまいますが、もしも、誰にも相談できずに独りで悩んでいる方がいらっしゃいましたら、ぜひこの機会に交流会に参加してみませんか?

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■日時 :

平成28年9月19日 (月・祝日) 12:00~15:00頃


■場所 :

東京 JR渋谷駅周辺

(人数によっては変更する可能性がありますが、その場合も、東京のJR山手線エリアで開催予定です)


■会費:

2,000円~3000円程度を予定しています。

 

■参加希望の方は、下記のメールアドレスまでご連絡ください。

kuroneko049@gmail.com

 

■参加申し込み期限

できれば9/01までにお願いしたいのですが、それ以降になってしまっても問題ありません。

 

■ご注意

視力矯正手術後に何らかの後遺症・合併症を発症してしまった方を対象とした交流会です。新規参加の方の場合、会の方からメンバー登録や、関連の質問をさせていただくかもしれませんが、ご了承いただけると助かります。

 

最終的な開催場所については、決まり次第、お申し込みをいただいた方に、個別にご連絡させていただきますのでよろしくお願いします。


つらい現状を話し合う、情報共有し合うことももちろんですが、同じ種類の悩みを抱えている者同士だからこそいろいろな話を気兼ねなく話すことができるという部分が一番大きいような気がします。この会が参加者の方々にとってまた翌日以降への活力になればと思 っています。

 

お近くの方はもちろん、遠方からの方もぜひお待ちしております。
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...レーシック難民になって、一番辛かったのが「孤立」だったように思います。

今まで出来ていた当たり前の事が急にできなくなる。友人の集まりにも疎遠になってしまう。光が眩しいし、眼鏡の上にオーバーサングラスをかけているから相当怪しいし、会話も眼が痛くて集中できないし、涙が飛び散るから頻繁に眼鏡のレンズ拭いてるし。

いろんな世の中の事に参加できなくなる。テレビが観れないし、仕事にも支障が出て、趣味も奪われる。本も読めないし、大好きだった車も運転できないし、映画館へ行っても眼が痛くて途中からの記憶は眼が痛くて痛くてたまらなかったことだけだし、旅行へでかけても、そもそも見え方が変だから何が綺麗だったのか良く分からない。

「ああもう嫌だ、終わりにしたい、ぎゃぁぁあ」と思ったときに、この日本のどこかで同じように苦しんで、どこかで同じ空間をともにしているであろう誰かのことを考えることで、明日への一歩が踏み出せました。

日本のどこかにいる、同じ悩みを抱えた人たちが、この機会に出逢えたら幸いです。

眼科手術不適応症候群と遺伝子検査 @ Level 3.2

現時点での私の公式な疾患名は「両眼LASIK後術後不適応症候群」となっています。

2010年9月に手術をしてから今まで、それはそれはたくさんの病名がつきました。ドライアイ、マイボーム腺梗塞、角膜神経痛、外斜位羞明眼瞼痙攣、調節機能障害...などなど。あれから6年近くたち、レーシックの後遺症に関する情報が良い意味でも悪い意味でも浸透して両眼LASIK後術後不適応症候群」という曖昧なカテゴリが定着してしまったのかもしれません。

またレーシックだけではなく、視力自体に調整を行う白内障などで手術をうけた患者さんも、似たような「後術後不適応症候群」に悩まされているようです。

yomidr.yomiuri.co.jp

www.jmedj.co.jp

これらの「症候群」にカテゴライズされてしまった疾患の問題は、原因が分からない点です。「症候群」というあいまいなラベルをあえて付けることにより、医療を提供する側に対しも、あえて原因を特定したり、専門治療を提供する必要がないという逃げを与えてしまっているようにも思えます。

しかし、実際に後遺症を抱えてしまった患者本人は、「症候群」というあいまいなラベルがついたことによって新たな苦悩のスパイラルに陥ってしまいます。

 

なぜ多数の人が成功している手術なのに自分だけが苦しんでいるのだろう?

自分の何が悪いんだろう?

体質が悪いんだろうか?

遺伝子が悪いのだろうか?

眼以外で手術を受けた場合も、同じような後遺症が発生するのだろうか?

私だけ異常なのだろうか?

私の子孫もその遺伝子を受け取ってしまうのだろうか?

何が原因なのだろう?私だけ。

 

悩み始めると、きりがありません。後術後不適応症候群」の発症のメカニズムや発症リスクの高い個体の特定ができないのですから、今後、別の器官や臓器でも同じような問題が発生する可能性があることを否定できません。

 

私の場合は、その「原因が分からない」という恐怖が、医療不信につながってしまいました。お医者さんから処方された薬を飲むのが怖い。必要だと言われている手術も怖い。身体にメスをいれたら、この眼と似たような痛みや後遺症がその臓器に発生してしまうのかと思うと、本当に怖い。万が一、手術が必要な病気になっても、手術は断固拒否したい。怖い。継続する痛みは怖い。

 

「なぜ」自分だけが不適応症候群になってしまったのか。その解が無いという事自体が、徐々に人生を蝕んでいきます。答えが無いまま、宙ぶらりんの状態で長い間据え置かれてしまうと、次のアクションをとる勇気自体が無くなってしまいます。

 

とにかく原因が知りたい!

そんな時に臨時収入があったので遺伝子検査というのをやってみました。「なぜ」の答えが遺伝子にあるのではないかと。まぁ、半分お遊びのつもりでやってみた結果が下記のとおりです。

 

遺伝子検査により、発症する確率が高いとされた疾患

遺伝子検査により、私が発症するリスクが高いと統計学的にはじき出された病気のトップ一覧です。眼の疾患か癌が上位に来るかと思いきや...

 

もやもや病!!脳ですか!

フェイント。

 

癌家系なので、大腸がんとかがトップに来るかと覚悟いたので、何とも意外な結果でした。でも緑内障も1.56倍ですね。

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遺伝子検査による眼の傾向

肝心の眼に関連する遺伝子情報はというと、近視傾向にあるというだけでした。

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「眼の構造(角膜の曲率)」は、大きいほど近視になりやすいそうです。それ以外は特に目立った項目は無さそうです。

 

全く関連性は無さそうですが、「もやもや病発症の確立が高い遺伝子を持つ人がレーシックを受けたら、後遺症を発症しやすい」というような分かりやすいデータが出てくれると助かりますが、あと数年はかかりそうですね。

 

注意 : 遺伝子検査を勧める記事ではありません。あくまでお遊び程度でやってみました。ただし将来、私がもやもや病にかかって腎不全で苦しんでいたら、信ぴょう性がありそうですね。

記録の力 @Level 3.0

砂を噛むような、デッドエンドの、前に大きな壁が立ちふさがっている、永遠に通勤電車に揺られているような、袋小路に迷い込んだ、倒しても倒しても敵が出てくるトンネルのような、ある日の朝に目覚めなければ本当は幸せなのかもしれない、そんな出口のない冬が続いていた。

治療はどん突き。

砂を噛むような、という形容詞がぴったりの日々。

 

個人的な話をしよう。

私の祖父母の話だ。

数年前に祖母が他界し、その後、祖父も100歳近くで他界した。

 

祖父母が亡くなった後、彼らが暮らした田舎の家を壊し、新しくマンションを建てることになった。彼らがゼロから築き上げた土地と家を、ただ壊すのはしのびないということで、祖父母が遺した品が子孫に形見分けされた。

 

広い田舎の家には...

その土地が、原爆で焼きつくされたその瞬間からの、すべての歴史が遺されていた。

 

孫にあたる私のところにも、大きな段ボールが数箱届けられた。祖父母の日記、祖父母が読んだ本、父が祖父母にあてた手紙、父の幼稚園時代の通信簿、父の絵、私が祖父母にあてた手紙、亡き母が祖父母にあてた手紙、父と母の写真、私の卒業証書と写真、永遠と続く亡き人々や忘れられた歴史。大量の資料。

 

まさか、これらの記録が私を助けるとは思いもしなかった。

 

痛みで辛い夜に、彼らの日記を1ページだけ読む。

そこには大きな字で「辛抱」と書いてある。「ただ焼け野原を歩いて、兄や姉の家を訪ねましたが、ただ土と灰でした。姉が病院に入院しておりました。しかし全身に黒い斑点が出て焼けただれ咽喉ははれあがって声は出ませんでした。姉は息絶えました。」

 

...私の祖父母は被爆者だ。

私は18歳のとき、彼らからすると「敵国」にあたる国へ移住した。そして、人生の大切な時期をすべてその国で過ごした。異国へと旅立つ私を見送った祖父母の複雑な心境や、その後の家族の歴史が、彼らの日記に、時には激しく、時には間接的に刻まれている。若かった私は、全く知らなかった。彼らがそんな葛藤のなか、私を送り出してくれたこと。あの笑顔の裏にあったもの。

 

...知らなかった、祖父母から、両親から、愛されて愛されまくっていたこと。

その記録は、砂を噛む明日を投げ出したくなった時、私の心の支えになってくれた。

私を愛してくれた人たちがいた事。いる事。

遺された記録。

 

ーー 私は今、集団訴訟という裁判のプロセスのなかに居る。

そこで毎回突き当たる壁が「記録」「過去の証拠」の重要性だ。18歳から移動を重ねる生活を続け、社会人になってからは、移動そのものが仕事になってしまった私だ。過去の記録を丁寧に遺すことを一切しなかった。移動のたびに過去のデータはすべて廃棄していた。

 

自分の過去を一切残さない生活を、COOLだと思っていた。

スーツケースひとつでどこへでも旅立てる生活、それが私なんだと思っていた。

 

今はそれを、ほんの少し後悔している。

記録は力、記録は証拠なんだと。

どうでもいい記録が、70年後に、誰かの明日を紡ぐことがあるかもしれないということを。

 

私は知らなかった。今まで。

絶望という名の希望とともに @ Level 2.5

2016年。

レーシックをしてから、2016年の9月にて、ぴったり6年目を迎えることになります。眼の表面の激痛を発端とした、ありとあらゆる不具合を抱えてから6年。積極的に治療方法を見つけよう、病院を開拓しよう、という意欲は少しずつ削がれていきました。

代わりに「自分自身で自分の身体の感覚だけを頼りに、自分なりの緩和方法を、今まで試した薬や眼鏡処方を頼りに自力で見つけよう」という意思が芽生えたように思います。医学的には突拍子もない、眼科的にはタブーなことであっても、私の身体にとってはなぜか合う治療方法もあるのです。

 

現時点での私なりの状態を参考までに書き留めておきます。

 

眼鏡とコンタクト

  • 近用遠近プリズム眼鏡は、遮光(薄い茶色)を入れた下記の度数を継続的に使用。2012年から近用の度数はそれほど変化していません。ほとんど1日中、この眼鏡を使用しています。

RS+1.50 プリズムベースイン1.50D
LS+1.75 プリズムベースイン1.50D

  • 遠用眼鏡は最近作ったものなので、近視度数が入っています。どうしても遠くの視力が必要な出張時や、昼間に自転車の運転が必要な際に使っています。遮光はほとんど入っていないので、これは失敗?。遮光を入れるべきだったかも。

RS -0.25 プリズムベースイン1.50D
LS -0.25 プリズムベースイン1.50D

  • 眼の表面や奥の痛みがかなりひどい時には、右目に眼帯をすることで楽になります。完全に光と視力を遮断すると痛みが少し緩和されます。ただ、職場で眼帯をするわけにもいかないので、右目だけに +1.5のコンタクトをして、そのうえから近用プリズム眼鏡を使用しています。+5.0なども試しましたが、+1.5の遠視コンタクトの上に、近用遠近プリズム眼鏡をするのが、今のところ一番楽でした。ただ、痛みを緩和させる一番の方法は、右目を完全に眼帯で遮蔽することです。左目を遮蔽しても、あまり効果が無いのは本当に不思議。(ただ、この方法は眼科的にはタブー。目を遮蔽するのは悪影響があるかもしれません。)
  • 運動するときなどは、3時間ほどですがコンタクトを使用。+1.5を使っています。
  • とにかく光が大敵なので、眩しいと感じたら、サングラスを使用。眼鏡の上からオーバーサングラスを使用しています。職場ではサングラスはできないので、虹彩付コンタクトが試せないかなぁ、と悩み中。

 

 目薬

  • ジクアス点眼液 3% : 一日8回以上使用。一番使用している目薬で、一番眼の表面の痛みに効果があるような気がしています。
  • ムコスタ点眼液 2% : 毎日1回。涙腺が詰まったのはこいつのせいじゃないかなぁ、という懸念もあるため、毎日朝1回のみ使用しています。朝はとにかく眼がバリバリに乾いて痛いので。
  • ミドリンM 0.4% : 週に1-2回程度、寝る前。眼が痛くなりそうな予感がする時、寝る前に使用しています。眼の疲労が溜まる、水曜・木曜の夜に使用することが多いです。
  • サンピロ 2% : 頓服。劇的に痛みに効いたり、むしろ痛みが悪化したりと、効果にむらがあるため、月に1回程度しか使用していません。あまりに眼の表面が痛くて、眼帯でも痛みが治まらない時に、一か八かで使用する感じ。

 飲み薬

  •  レンドルミン 0.25mg  : 週に2-3回程度、寝る前に使用。眼の痛みで眠れない、眠れないと次の日の眼の痛みが悪化する、という悪循環があるため、平均で週に2回ほどは睡眠薬のお世話になってしまっています。海外出張時には、連用してしまっています。本当は辞めたいのですが、仕事を続けるためには仕方がないと割り切っています。
  • デパス 0.25mg : 頓服。眼の表面・奥の痛みがかなりひどく、かつ、痛みを抱えながら仕事をしなくてはならないときに、頓服で使用します。0.5mgの錠剤を半分に割り、痛みがひどいけれど仕事が休めない時に飲んでいます。時差を伴う出張時、過労時に使用するので、3か月に1回程度です。
  • セレネース 0.37mg : 年に1回くらいしか使用しない頓服。眼痛戦慄発作(くろねこ命名)が起きた時のみ使用しています。今のところ、眼痛戦慄発作(眼の表面から眼の奥や耳の鼓膜、顎関節までのたうちまわる程に痛み、震えや悪寒、吐き気を伴い、自分を撃ち殺してしまいそうなどうしようもない状態の事)は年に1-2回しか発生していません。未だに謎の症状だが、本当に起きてほしくない。
  • 漢方の、加味逍遥散 : 朝と晩に不定期に飲んでいますが、効いているのかなぁ。
  • ユンケルEC : こいつは番外編なのですが、1日1回寝る前にこのビタミン剤を飲むようになって、風邪をひかなくなりました!会社の上司が教えてくれたのですが、感謝です。

とまぁ、以上が私の現在の状態です。

術後1-2年目の頃と比べると、かなり痛みの状態は良くなっているように思います。ただ、痛み以外の症状や視力自体は悪化していて、日常生活への支障は格段に今の方がある状態です。「痛み」という角度だけで比較すると、5年半ほど前よりほんの少し今のほうが和らいでいます。

 

先日、

...国会にて、レーシック問題を(ほんの少しだけれど)取り上げていただけました。

 

21分57秒辺りから、レーシック問題が言及されています。規制緩和に関する注意勧告の例としてあげられています。ありがとうございました。

 

苦しみや痛みがいつか人生の灯になるよう、絶望が希望になることを祈って。

 

希望という名の絶望とともに @ Level 3.8

2015年、1日だけ、強烈に忘れられない日がある。

ちまたではスーパームーンと騒がれた、そう9月28日。手帳にはこう記してある

「サンピロでかなり楽になる。眼が楽だと夜の時間が有効に使える。健康な人ってこんなに楽なものなんだな...」

たまたま、医者から処方されたサンピロ2%を久しぶりに試した所、なぜかこの日は、劇的に効いた。レーシック前に戻ったかと錯覚するほど、眼の痛みがほとんど出なかった。嬉しかった。

 

嬉しすぎて嬉しすぎて、

仕事帰りにデパートによって、

靴を買ったり洋服を買ったりした。

痛みが無いことが、その幸せが凶器だった。

 

自宅に戻ってからは、溜まりにたまっていたプライベートな用事を済ませた。コンビニに行き、裁判に提出する「レーシック後遺症治療に使用した費用のレシート」を張り付けたノートを、ひたすらコピーする。1時間半、ひたすらノートをめくって、コピーした。

コンビニにたくさんの人がやってくる。いつもなら眼の痛みで、気にとめる余裕もない人達。カップルで手をつなぎながらアイスを選んだり、会社帰りに雑誌を立ち読みする男性。高いハイヒールを履いた女性が、一生懸命ヨーグルトの成分を見比べている。一瞬、強烈な「嫉妬」が湧き上がってきた。

...眼に痛みのない人は、毎日が、こんなに幸せなのか。多分、それぞれたくさんの痛みを抱えているかもしれないけれど、眼の痛みが無いという事は、こんなに幸せなのか、こんなにこんなに強烈に幸せなことなのか...

山のようにコピーを抱えて家路につき、空を見上げるとスーパームーンが東京の街を神秘的に照らす。知らなければ良かった。眼の痛みが無いという状態が、こんなに幸せだという事を、知らなければ良かった。知らないで居たなら、眼の痛みが無いであろう人に対して、こんなに「妬み」の気持ちを抱くことも無かっただろう。眼に痛みが無く、身体も元気でどこも痛くないのに「店員の対応が悪い」「やる気がでない」「あの人に嫌われた」「彼氏からメールが来ない」と悩んでいる人に、ほんまどーでもいいですよと心の中で毒づくこともなかっただろう。

 

その「たった1日だけ痛みがほとんど無い経験」をしたあと、一番信頼している主治医の先生から、とある遠くの病院の先生を紹介された。その先生はとても偉い先生で、もしかしたら私の痛みの原因を特定できるかもしれないと。

 

期待していないふりをしながら、本当は期待していたのかもしれない。

5年に1日だけであっても、調子の良い日があったのだから。

痛みの無い世界が忘れられない。

 

有給をとって、新幹線に乗り、前泊をして遠くの遠くの病院で診察をしてもらった。結局、診断結果は「私の眼の痛みの原因は分からない」というもの。右目のみ、レーシック後のフラップが少し炎症を起こしているということで、フルメトロン点眼液を山ほどもらってきた。たぶん、権威のある先生だったのだと思うが。私のデータが、いつかのちのレーシック後遺症治療の役にたつことを祈るばかりだ。

 

遠い場所から帰宅してしばらくして、何も手につかなくなった。

張りつめていた糸が切れたみたいに、身体が動かない。

痛みの無い世界が忘れられない。

希望のない世界が信じられない。

 

アルコール中毒だった人が断酒した後、

たった一口のアルコールを口にしたばかりに、

強烈にアルコールを渇望するかのように。

痛みの無い世界は、私にとってもはや麻薬だ。

 

私の眼は今、近視化している。

遠くも近くももう、はっきり見えない。

近視になれば痛みが治ると信じていた。

 

妬み、嫉妬、後悔、拒絶、怒り、不安、失明、恐怖、孤独、痛み。

どうしても人と比較してしまう自分の弱さ。

 

明るい場所が眩しすぎて

眼だけではなく

心までも

いじけてしまう自分の弱さ

 

その私の弱さに折り合いをつけるのが、2016年の目標だ。

2016年が、すべての人にとって素敵な年になりますように。

 

 

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遠くの病院で検査した、私の数値。完全に近視化しているのに、痛みが緩和されないし、近くの見え方も悪いままなのが不思議なところ。

 

注意:

私の場合、サンピロは効果に変動があり、痛みが楽になる日と、逆に痛みが悪化して吐き気などが出る場合もあります。この目薬は効果に安定性が無く、現時点では、リスクを承知の上での頓服として使用しています。また、連用すると、白内障になるなど重篤な副作用があるので注意。下記を参照してください。

レーシック後の点眼薬~近視手術の後遺症対策研究会