くろねこの涙

レーシック難民になってからの記録

涙道閉塞症とレーシック (2) @ Level 2.5

かなり期間が開いてしまいましたが、Chapter 2です。

今年の年明けに涙腺専門の病院へ行き、肉芽というポリープが出来ているため「涙道閉塞症」と診断され、次の月に手術を行うように言われました。手術の予定日として、最初に予約を入れたのは2月。

私が行うように勧められた手術は、「ヌンチャク型シリコンチューブ手術」と呼ばれるもの。「シリコンチューブ挿入術」とも呼ばれているみたいです。内視鏡を涙道内に挿入し、先端に付いた棒みたいなものでつっついて涙道を開通させます。開通させた後に、シリコンの細いチューブを涙道に挿入し、再び閉塞してしまうのを防ぎます。このチューブは、3か月程度、涙道に入れたままにするのですが、簡単に抜け落ちてしまわないよう、チューブの端を膨らませてヌンチャク型にしてあるのです。

 

詳しくはこちら:

なみだ目(流涙症)|横浜の眼科なら横浜市南区のかめざわ眼

 

手術自体は日帰りで済みますが...とにかく痛そう。また、移動が多い私にとって、3か月の間、いつでも眼科に駆けつけられる状態にしておくのはかなりしんどい。飛行機の中で眼からチューブが飛び出たらどうしろってんだ?

おまけに....この手術の合併症や後遺症について医師に尋ねると、

1) ドライアイがひどくなり、術後から眼の渇きや痛みを訴える人が居る

2) シリコンチューブが眼頭から抜けてしまい、眼からびよーーんとチューブがはみ出してホラーな状態になる可能性があり、その際はすぐに病院へ駆けつけないといけない。

3) チューブを挿入している間は、鼻をかむことができない。鼻をかむとシリコンチューブが外れて、2) の状態になってしまう。

4) まれに術後に痛みが長引いたり、顔が腫れてお岩さんになる事がある。

そのなかでも特に、ドライアイがひどくなるというのは私にとってかなりリスクが高いわけで。

今、何とか仕事がしていられるのも、もしかしたら涙道が閉塞して涙が潤ってくれているからじゃないのか?むやみに眼をいじるのは良くないのではないか?別に眼から涙が常にあふれていても、それで収入を絶たれるわけではないのだから、このままで良いんじゃないか?それになぜ寝ている間は眼が乾いて乾いて、枕元に目薬を置いて寝ないといけないんだろう?涙道が閉塞してたら、寝ていても涙で潤っているのではないか?

でも、人と話しているといつも眼鏡をはずして、ハンカチで眼を常にふかないといけない。だから、いつもあちらこちらに眼を拭いた後のティッシュが散乱してる。眼鏡に涙のしぶきがいつもはね飛んで、眼鏡を何度もふかないといけない。アイメイクはもう5年もしていない。目じりがいつも涙でかぶれて、赤くただれて手に負えない。

ぐるぐるぐるぐる悩んで悩んで悩んでもう頭がフリーズなわけで。

 

結局私は、手術とドライアイが怖くて怖くて怖くて怖くて、手術を延期し、セカンドオピニオンを求めて遠くの病院へと足を運びました。数年前にもレーシック後遺症の治療で訪れたことがある病院です。そこで検査したところ、確かに右目にポリープはあるし、涙道が閉塞気味とのこと。ただ、涙道を100%開通させてしまうと、確かにドライアイで再度悩む可能性は否定できないと。

 

私が手術を躊躇しているのは、下記の疑問点に答えられていないからなのです...

  • 寝ているときには常軌を逸したドライアイで、枕元にサンティア目薬を置いて4時間ごとに涙を補給しないといけません。涙道が閉塞しているのなら、夜間も潤うのでは?これはなぜ?
  • 起床時には瞼が目やにで乾燥して張り付いていて、手で剥がして眼を開けています。これはなぜ?
  • 日によって、涙がだらだら出る日と、あまり出ない日があります。これはなぜ?
  • 早朝から15時あたりまでは、かなりの涙目に悩まされ、夕方からは逆にドライアイ気味になります。これはなぜ?
  • 22時を過ぎると、判で押したように涙目が治ります。眼鏡に涙のしぶきも飛びません。これはなぜ?
  • プリズム眼鏡をかけると眼の痛みは楽になりますが、涙があふれます。逆に裸眼だと、どの時間帯でも涙目にならないのです。これはなぜ?(ただし、裸眼では近くが見えず、眼の痛みが悪化して生活できません)

もしも、誰か良いアイデアがありましたら、ご教示いただけると助かります。いったいどういう状況なのか、自分でも良く分かりません。

ということで、多分、次のChapterへ続きます。

 

...最近、視力が落ち、裸眼で 1.0 以下になってきたせいか、少し眼の痛みが楽になってきました!レーシック後5年目の現在、裸眼で、近くはほぼ見えず、遠くも徐々に見えなくなってきています...

涙道閉塞症とレーシック (1) @ Level 4.8

更新が滞ってしまいました。

眼のすべてのエネルギーと労力を、生活の糧である仕事に注ぎ込むのに精一杯。家に帰ると、真っ暗ななかお風呂に入り、ラジオを聞いて速攻で寝る、睡眠時間を死守する。とにかく眼をシャットダウンして、何が何でも寝て眼を休めて明日に備える...という見事に味気ない生活が続いてしまいました。

さて、2010年9月にレーシックを受け、2013年1月頃から悩まされ続けて来たのが「涙流症」。レーシックを受けてドライアイになるものの、涙点プラグや目薬などの治療で、ドライアイはほぼ完治。それなのに眼の表面・眼の奥の痛みは全く良くならず、それどころか逆に、眼から涙がだらだらこぼれる「涙流症」のような症状がひどくなって来てしまいました。

何度も何度も眼をテッシュでぬぐわないと、眼から涙がこぼれるし、眼鏡に涙のしぶきが飛ぶし、かなり生活に支障が出て来たのが2014年。そして数ヶ月前、涙腺専門の病院へ重い足を運びました。

診察は、両眼の目頭にある上下の涙腺に、細い注射針のようなものを入れ、適量の水を流し込み、同時に針の先端についた内視鏡で内部を検査するというもの。ビジュアル的には痛そうなのですが、眼に麻酔点眼をするので、検査自体は全く痛みがありません。

涙腺に問題がなければ、眼の涙腺から挿入した水は、どかっと鼻の方へ抜け落ちます。鼻水ずるずるになれば健康な涙道で、鼻水として水が流れ落ちなければ閉塞です。左目から水を注入したときは左の鼻からだらりと水がでてきたのですが、右側は全く水がでてくる気配がありません。

残念なことにこの検査で、右目に肉芽という小さなポリープができていることが分かりました。左目の方はポリープなどは無いのですが、涙腺が細くなっている可能性もあるとのこと。正式な診断名は「涙道閉塞症」。

 

レーシックをしたから涙道閉塞になったという訳ではありません。ただ、レーシック後の治療などが涙腺閉塞を引き起こした可能性が高いようです。

 

涙腺専門医の先生の話によると...

1) 涙点プラグの影響

涙をせき止める涙点プラグを長期間装着していると、涙腺に肉芽ができ、涙腺が塞き止められてしまう場合がある。肉芽とは小さなポリープのようなものです。私は2年半程度、涙点プラグを付けていました。

2) ムコスタの副作用

なんと!この4年間、毎日律儀に3回使用していた、あの真っ白な目薬「ムコスタ」が犯人の可能性も。ただ「ムコスタ」は眼の痛みにじんわりと効いた目薬だったので、ムコスタを責める気にはなれないのですが、副作用追加が遅くないかい?

ムコスタ点眼(レバミピド)涙道閉塞、涙嚢炎重大な副作用追加通知-厚生労働省 | 薬剤師専門サイトのファーマシスタ

3) ドライアイ

ドライアイの人は、涙道閉塞になる割合が高いそうです。ただ、その原因は良く分かっていないようで。ドライアイの人は、眼の表面が過敏なため、涙腺が詰まっていなくても涙流症のような症状を訴える場合もあるそうです。

 

とまぁ、これでもかと眼の不幸とブログのネタは続きます。もう疲れて来たので、続きはまた今度。

2015年、明けましておめでとうございます @Level 4.3

私は毎年、家族の都合により海外で年越しをする ーー 実家が海外。

海外とはいっても日本とは全く生活習慣が異なる国で、たぶん海外旅行の行き先としては名前があがらない国だろう。貧富の格差がかなりあり、人間の命が虫けら以下に扱われる現場を目にして、複雑な気持ちになることもある。

日本では疑問にも思わなかった日常の生活や常識が...

人間はみな平等なんだとか、貧しい人や病気の人には優しくしなくてはいけないとか、便器に便座がついているのは当たり前だとか、シャワーはお湯がでるものだとか、生野菜がスーパーで手に入るのは当たり前だとか、職場で盗みをはたらいたら速攻でクビになるのが常識、バス停はバスを待つ場所で家族6名の住処にはなり得ない、子供たちは学校に通うもので労働をさせるのは犯罪だ、卵をスカートに隠して命がけで盗む人はいないだろう...

とかなんやらとか、が根本から崩れてゆく。

私は別にこの国が好きじゃない。けれど、この国に帰省?すると毎年不思議なパワーをもらえる気がする。そのパワーとかエネルギーみたいなものを、頑張って文字に書き起こすとするならば、

「世界は広い。人の数だけ色々な価値観がある。短い人生、人の目や評判を気にしている時間は無い。ふっと肩の力を抜いて生きていける場所、住処、人の輪、仕事は、自分が求め続けていたらどこかで出会えるのだから。どこででも、いきていける。」

レーシック後の後遺症に苦しみ始めてから月日だけが流れ、どこか新しいアイデアや価値観や生き方を受け入れる余裕が無くなり、自分の殻に閉じこもっていたような気がする。だって私は「障がい」があるんだから、それに治療法が無いんだから、あなたとは違う、あなたみたいに楽しむことも、生活に余裕を持つことも出来ないんだから。斜に構えないと生きていけなかったのも事実だ。

だが、レーシック被害を受けたたくさんの方が名乗りをあげ、被害の一部が集団訴訟まで持ち込まれた今、私が苦しむものは「誰にも理解されない障がい」では無くなった。ある意味、自分たちの力で自分たちの後遺症に対する認知度をあげることができたのだ。

今年は、この後遺症であり障がいを自分自身が受け入れ許し、そしてこの後遺症とともに生きていく方法を、楽しみながら寄り道しながら、見つけていきたいと思う。そして新しい価値観や方法に誰かが誘ってくれたら、ちょっとトライしてみてもいいんじゃないかと。楽しめることを探してみよう。

2015年が、このブログを訪れてくださっている方、すべてのレーシック難民にとって素敵な新しいスタートの年になりますように。そして、すべてのレーシック後遺症患者に対し、根本的な治療あるいは救済措置が実現しますように。

衆院選へ向けて - Actions speak louder than words @ Level 4.2

明後日に控えた衆議院選挙へ向けて。

注 : 下記は私的な感想で選挙活動ではありませんが、正直全力で応援しています...

 

私を含めた「レーシック難民を救う会」のメンバーの声を、会の先輩が三谷先生へ応援メッセージとしてまとめてくれました。今の私たちの気持ちを、よくまとめてくださっているので、ここで紹介です。


レーシック難民を救う会 ボランティアスタッフより|三谷英弘オフィシャルブログ「衆議院議員 三谷英弘の考え」Powered by Ameba

 

私が後遺症を発症した2010年は、レーシック後遺症の認知度もほとんど無く、レーシック難民であることをカミングアウトすると、「え、本当にレーシック難民っているの?」とかなり驚かれました。"少し頭がおかしい人" 扱いされることもありました。

2014年の今では、レーシック後遺症の話をしても「あ、それテレビとか新聞でもやってたよね。結構、後遺症があるみたいだね。」という反応。数年前よりもかなり認知度があがり、職場で症状の話をしても、快く大きなモニターを特別に購入してもらえたほどです。

 

レーシック後遺症を発症してよかった事をあえてあげるとしたら、一緒に闘いサポートし合う仲間に出会えたこと。そして、もう一度社会に参加してみようと思える希望をくれた、素晴らしい政治家に出会えたこと。

政治なんて、「脂ぎったおっさんおばさん達が料亭で飲み食いして、利権と権力と金だけで動いていて、とにかくお金持ってたり親が政治家だったりしたら選挙で勝つんだろー、国会って居眠りする場所だろー、彼ら何か役にたつことやってんのかー、というか全然自分に関係ないし。」と正直思ってました。ニュースでも政治関連が出てくると、チャンネル変えてましたね、以前。そ、全く興味なかった。

それが後遺症を発症して、三谷先生と出会い、ほんの少し変わりました。あ、以前の私のあの無関心な態度が、日本をこんなに生き辛い国にした原因だったんだなって。無関心が最大の敵だったと。自分が弱い立場になり、助けを求める側にたって初めて、政治の重要性が少し分かったような気がします。

声をあげたら、それがどんなにか細い声でも、それを受け止めてくれる政治家がこの国には居る、確実に居る。眼の前に居る。それだけで、多くのレーシック難民は明日への希望をつなぎとめることができました。

 

きっと今回の衆院選の立候補者の中にも、三谷先生のような政治家がたくさん居ると思います。ぜひ、候補者の過去の実績などをじっくり調べて、人々の声を政治に反映させることが出来る人を選んでほしいと思います。政治なんて関係ないと思っていても、いつか将来、それが課題として自らに降りかかってくるのです...私みたいに!

 

行動は言葉よりも真実を語ります。

三谷先生がひとりの政治家として、政治の本来の在り方を示してくれた行動。それに関われたことを、私は一生誇りに思うでしょう。


後遺症の法的処置や訴え カテゴリーの記事一覧 - くろねこの涙

肥溜めのなかから砂金をみつける旅 @ Level 4.2

長い間更新ができず、また、たくさんのコメントに回答もできず申し訳ありませんでした。応援のコメント、同じく闘病している仲間からのコメント、本当にありがとうございます。出張が続き、その後、体調や眼調を崩したりと、なかなか仕事以外でパソコンを見る "眼の余裕" がありませんでした。

寒さのせいで、眼の表面・眼の奥の痛みともに悪化。冷気が当たると眼の表面がひりひりすることもあり、角膜神経痛のせいなのか、それとも別の原因もあるのか、絶えず涙が眼から溢れてきます。

「眼鏡を外す、テッシュで眼をおさえる、眼鏡を戻す、眼鏡を外す、テッシュでこぼれる涙をぬぐう、眼鏡を戻す、眼鏡のすきまから指で流れる涙を抑える...」という行為を永遠に永遠に繰り返す毎日。電車のなかで、本当にたまーに、同じようなことを繰り返しているおじいさんやおばあさんに出会うことがあり、思わず声をかけたくなってしまうくらいです。

レーシック後の後遺症を抱えてから、私は事実上「社会的ひきこもり」に近い状態が続いてしまいました。ひきこもりとは言っても、会社には行くし、病院には行くし、買い物にも行くし、ジムには通うし、適当に話はするし、会社の飲み会にも参加します。でも、心が引きこもっているのです。

同世代の仲間から、" 料理学校に通うから一緒に行かないか" とか、"ドライブに行こうよくろねこさんも免許あるんだし"とか、"スノーボードに初挑戦するから一緒に行こう"とか、"夜までカラオケに行こう"とか、誘われます。でも、私は喜んで「行くー」と言えないのです。

"体調はどうしよう。平日の夜に1日でも睡眠不足になると仕事にひびくし。7時間はちゃんと寝ないと眼の痛みが顕著に悪化するし、夜でかけてる場合じゃないな。料理学校って、蛍光灯が眩しいし、サングラスで調理するわけにもいかないし。免許は持っているけど、ドライブできるのは昼でも2時間が限界で、ハロー・グレア・スターバーストがひどくて夜の運転はもう難しいし。雪山なんてまっぴら、どんなに濃いサングラスをしても眼が真っ赤に腫れあがって痛みだすし。"

結局、「ごめんね用事があるから」という一言で、誘いを断り続け、そのうちに疎遠になる...といった状態が続きました。

飲み会などの場に参加しても、健康な人たちの健康な会話がだんだんと遠い世界の出来事のように感じ、どんどんその場から自分の心が幽体離脱みたいに離れていきます。「健康な人はいいよね、私はどれももうできないし」羨んではいけないと頭では理解しつつ、身体から離れた心だけが卑屈にその場を見下ろしています。レーシック後遺症の事をちゃんと説明すれば、みんな理解してくれることは分かります。ただ、その話をした後の...不治の病で入院している人のお見舞いに義理で来たときみたいな、その一瞬の "なんかこの場離れたいよね?" 的な空気が...怖いのです。

 

日本ではない別の国に住んでいた頃、「Into the wild(荒野へ)」という、実在の人物をもとにした小説が、地味にはやったことがありました。ヒッピー崩れの同僚にやたらと勧められ、「英語の勉強のために読んでみるかぁ」程度で読み始めたのですが...。その後、聖地巡礼(主人公の軌跡をたどる旅)にまで行ってしまった位に心に残る本でした。

話自体は、実在の若者の、社会への反抗から始まる放浪の旅。裕福な家庭に育ったものの、確かな愛情を受け取ることができなかった彼が、真の生きる目的を見つけるために、身分証もお金もすべてを捨てて社会のシステムから離れ、独りで旅に出ます。素敵な出会いもあります。最後に彼は、アラスカの大自然のなか、たった一人でひきこもるのですが、自然に打ち勝つことはできず最後は亡くなってしまいます。

その彼が、亡くなる前に最後にノートに残したとされる一節がこれ。

 

Happiness only real when shared.

(幸せは、誰かと共有して初めて現実となる)

 

私の旅はどんな終わり方をするのか。

何となくもう一度、あの本を読んでみたくなった一日でした。

沈没したまま、あれから4年が過ぎた @ Level 3.6

まだ夏の日差しが照りつけたいた頃に旅立ち、しばらく異国で暮らしていた。広い大地が広がり太陽がふりそそぐ国。日本の自宅よりもはるかに暮らしやすいホテルで、チーズがたっぷりのったサラダとアイスクリームという、身体に良いんだか悪いんだか分からない夕食を食べたり、大きなソファに横になって遠くの方に置いてあるテレビを観たりした。空間が広いというだけで、眼の痛みがほんの少し楽になる。

日本で、レーシック被害者の第一陣が集団訴訟へ踏み出したことも、耳にした。

異国にて、レーシックを受けてから4年目の記念日が過ぎ去っていった。この4年で私が無くしたものはあまりにも大きすぎて、もうそれを想い出そうという行為自体が、とても危険なものに思えてくる。

海外に長く居住していると、沈没して、そのまま妖怪と化してしまった人に出会う。日本に馴染めなかったり日本から逃げてきて資金も仕事も無く海外に住みつく状態を「沈没」、日本を離れた時点の日本のファッションや考え方を身に着けたまま歳をとり、故郷を心から懐かしみながらも表面で強がっているうちに性格も容姿もひんまがってしまった状態を「妖怪化」と当時、現地の日本人居住者はその状態に名称をつけていた。

私も、このままここで沈没しちゃおうか?と、金髪や黒髪やブルネットやブルーの髪の人々がぼんやり座り込む、夕暮れの公園で妄想したりする。この4年はいったい何だったのだろうか?レーシックをする前に築き上げたすべてのモノ ーー 貯金だったり、少し大きなマンションだったり、車だったり、ちょっと贅沢する余裕だったり、将来をほんのりと思い描く希望だったり、明日読みたい本や観たい映画だったり、友人と久しぶりに会う時間だったり、おしゃれをする女子力だったり、誰かと会いたいという気持ちとか、数年後を思い描く夢みたいなもの、明日は今日と同じようにやってくるという無知な安心感、少し無理や我慢ができる身体、恋愛や家庭を持つことへの希望、痛みがない身体であるという健康 ーーそれよりも何よりも大事なこと、今自分が生きる社会の根幹を信じる気持ちと、人を愛したり信じたりする気持ち。これらを私はこの4年間で、一気に手放さざるを得なくなってしまった。

今あるのは、眼以外はとりあえず健康な身体と、まるで修行僧のような生活、そしてたった独りという永遠の孤独な解放感。悪くない、でも何かが微妙にずれて、妖怪化している自分。

「明日失明したとしても、迷惑をかけない状態でいなければ」、自分のどこかにそんな恐怖がひっそりと息をひそめていて、経験をしたことのない失明はどこまでも死に近く。そしてそれはいつしか、「いつ死んでも良いように」身辺整理を始めているような気持ちへとつながり、そして行動へとつながってしまった。今から誰かを信じたり愛したり、資本主義に疑問を持たずに生活できるようになるには、いったい何をどう努力すればいいんだろう?

...長い旅を終えて日本に帰国し、私を迎えてくれたのは台風と、ソファーもテレビもない棺桶みたいな自宅だった。ラジオをつけても、秋のドライブコースだとか年末コンサートとか湘南のレストランだとか、心底余計げっそりする話題しかなく、電源をOFFにして雨の音をただ聴くだけ。病に疲れた人専門のラジオ局とか作ってくれないかなぁ....そこは、しんみりする音楽と健康情報のみ (笑。

レーシック後遺症と、輻輳力 (眼を寄せる力) が弱いという問題 (3) @ Level 3.0

2回に分けて、レーシックをした後に不調を訴える人の多くが、眼の輻輳力に問題が発生しているケースが多いという事を書きました。眼の輻輳力は、眼の調節能力(水晶体の機能)と連動しているそうです。そのため、近くがぼやけるとともに、近くが2重に見えてしまう複視が発生してしまう事があります。人によっては、そのために絶えず視界がゆらゆらしているような感じになり、「眩暈がする」「吐き気がする」「壁が押し寄せてくる」「ふらふらする」「船酔いがずっと続いている感じがする」という症状になる場合もあります。

なぜ、このような現象が発生してしまうのか、医学的にはまだ分かっていませんが (あるいは分かっていて隠ぺいされているだけかもしれませんが ?) 、長らく眼科巡りをしているうちに、ある事が分かりました。

コンタクトレンズによって視力をかなり落とす事により、眼の輻輳力と眼の調節能力が改善されたのです。私の場合は、それが + 2.5 辺りのコンタクトレンズをつけた状態で起こりました。眼鏡の場合は機械での測定が難しいため、コンタクトレンズ限定ですが、視力を 0.6 以下まで落とす事により、急激に眼の輻輳力が回復するというデータが出たのです。要は、かなり近視寄りの近くしか見えない状態にすることで、眼が正常に動き出したのです。さすがの私も、+ 2.0 以上の度数は試したことがありませんでした。 

レーシック後に、眼の輻輳力に問題が発生した場合、ではいったいどうしたら良いのでしょうか。

 

1) トライリリスを導入している病院を探しだし、徹底的に検査をする

トライリリスとは近くを見る能力 (近見反応) や、眼精疲労の度合いを測定する事ができる眼科的な測定機械です。眼が痛い、近くが見えない、眼の表面が痛い、などの主観的な症状を、客観的にデータとして出してくれる、今のところ唯一の測定機械だと言えます。

患者さんは、遠くから近くに何度も移動する物体に焦点を合わせる努力をするだけ。機械が自動的に「いつ焦点が合わなくなったか、瞳孔の動きはどうだったか、眼の緊張状態はどうか、眼の動きはどうか」などを波形で表示し、その形で患者さんの眼の状態を判断する事ができる画期的な機械です。

私は、複数の度数の遠視用コンタクトレンズを装着して、何度もこのトライリリスで測定を行いました。どの度数の組み合わせのときに、眼が一番良い波形を出したかで、その患者さんにベストな度数が分かるのです。機械という第三者的な測定が可能なため、かなり客観的なデータが得られます。そのため、トライリリスで一番良い波形が出た視力度数をベースに、コンタクトや眼鏡の処方を試すことが可能になります。

残念ながら、このトライリリスを導入している病院は非常に少ない状態です。

 

2) トライリリスを試す時、レーシック前の矯正視力が重要な鍵に

レーシックをしたということは、少なくとも近視だったわけです (遠視矯正や老眼矯正の方はすみません、私自身に知識がないのでここでは省かせていただきます)。よほど軽い近視だった場合以外は、眼鏡かコンタクトで矯正をしていたはずです。

レーシック前に、眼鏡・コンタクトでどれくらいの視力が出ていたか。右目と左目で矯正視力に違いがあったか。こちらがとても重要なデータとなります。なぜなら、このデータを元に、トライリリスでの測定を開始するからです。

例えば、私の場合はレーシック前の矯正視力は、右が 0.7、左が 0.5 でした。もちろん、裸眼ではほぼ何も見えない状態です。

私のレーシック前の裸眼視力

右 = 0.05

左 = 0.04

レーシック前、眼鏡で矯正した際の視力

右 = 0.7

左 = 0.5

このように、かなり低矯正 (眼鏡・コンタクトでもかなり近視寄りの状態) で生活していた場合、いきなりレーシックをして1.5 まで見える状態になってしまったら、眼も身体もパニック状態になってしまいます。そのため、私は「レーシック前の矯正視力である 0.5 〜 0.7 が見える程度」という数値を初期設定ガイドラインにして、いろいろな組み合わせのコンタクトを装着し、トライリリスで一番眼が楽な視力の組み合わせを測定しました。

 

3) 眼が一番楽に稼働する視力を測定した後、プリズム眼鏡を試す

レーシック前の矯正視力数値を元に、トライリリスで眼が一番楽な視力を測定した後、プリズム眼鏡、あるいは普通の遠視眼鏡、またはコンタクトを作成するのが一番良いかなと思います。プリズム眼鏡を試してみたい場合には、両眼視機能検査ができる眼鏡屋さんで作成するのが一番です。

人によっては、仕事の都合で近くばかりを見る場合、眼鏡にプリズムが入っていた方が楽な場合もあります。また、レーシック後にコンタクトレンズができなくなってしまう人も居るので、遠視眼鏡・プリズム入り遠視眼鏡・遠近両用眼鏡・コンタクトレンズ、などの選択肢から自分が一番楽な方法を選ぶ必要があります。

私の場合、レーシックをした後、やみくもに眼鏡を試し、眼鏡だけがもう眼鏡博物館ができるくらいに増えてしまいました。最初からトライリリスで測定していたら、無駄な度数の眼鏡がこんなにたくさん増えなくて良かったのではないかと、ちょっと後悔しています。

このデータを元に、私の場合はパソコン作業のときはプリズムが入っていたほうが楽なので、右目 0.6、左目 0.5 位の視力に合わせた近見用の眼鏡を再度作ろうかと思っています...ああ、また眼鏡が増える。

 

...今、仕事で海外に長期滞在しています。この国は広大で、ひとつの建物と建物の間隔が徒歩で 10分。仕事場も広いし、ホテルの部屋も自宅の4倍はあります。また、室内の照明も、蛍光灯が使われていないため柔らかです。なんか眼が楽だなぁ。

運転するときや外を歩くとき、会議でプレゼンを見るときなど、遠方視力がどうしても必要となり、眼鏡を外して裸眼で見る事ができるようになりました。日本では眼鏡を外すと、ものの数分で眼の表面がびりびりと痛むのですが、ここでは遠くだけを見ている場合に限り、1時間位なんとか裸眼で過ごす事ができます。また、眼の激しい痛みにもまだ襲われていません。ただ、別の身体の不調に見舞われ、えらい眼に (じゃなかった) えらい目にあいました。

日本から遠く離れた国に来ても、気になるのは目薬コーナー。この国にもドライアイ用目薬はある程度ありますが、日本より品数は少なく、また「眼精疲労」用の目薬は見当たりません。日本の目薬コーナーは、本当に世界一の品揃えです。うーむ、いったい何が違うのだろう。日本人だけ眼精疲労がひどいっていう訳でもないと思うし、ここの国の眼精疲労の人は、眼科で処方箋目薬をもらっているのかなぁ、謎。